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第714話 何日君再来 (4)

「いくら要るの。」と涼矢が言った。  奏多はハッとしたように顔を上げ、涼矢を見る。救われたという表情ではない。逆に、何故そんなひどいことを言うのかと責めているような目だ。  それを見て、和樹がとりなすように言う。「いきなりそんな話しなくたっていいだろ。奏多もさ、結論急がないで、もうちょっと考えてからでも。」 「時間かけたって結論は変わんないよ。……時間かければかけるほど、まずいだろ。」奏多は泣く寸前のように顔を歪ませる。「そうするしかないんだ。」 「おまえがそう言うならそうなんだろ。で、今日はどうしたらいいかって相談じゃなくて、金の相談なんだろ?」涼矢はバッグから財布を出した。「3万なら今ここで渡せる。それ以上ならそこらの銀行行って今すぐおろしてくる。」 「できれば、5万。10万ちょいかかるんだけど、半分は自分でなんとかするから。」 「分かった。じゃ、もうここは引き上げよう。」 「え、今?」和樹は口もつけていない奏多のグラスを無意識に見た。 「なんだよ、この状況で歌いたいのか?」 「そうじゃないけど、もっと、話聞いてやるとか。」 「何の?」涼矢は和樹にそう言い放つと、次には奏多を見た。「何か話し足りないことはあるか?」 「……ない。」  ほらな、と言いた気に涼矢は和樹を見る。和樹はムッとしながら伝票をつかんだ。 「そ、それは俺が。」と奏多が手を出した。 「金に困ってる奴に払わせるつもりないし。」涼矢が横から手を出したが、和樹は意地になって取らせまいとした。 「いいよ、呼ばれてもないのにノコノコついてきた俺が払う。」和樹はそう言って部屋を出て、会計した。涼矢も奏多ももう何も言わなかった。  カラオケボックスの近くには郵便局があった。涼矢は2人を外に待たせたまま、金を下ろしに行くとすぐに戻ってきた。封筒ごと奏多に渡す。 「5万。」 「すまん。恩に着る。ちゃんと返すから。」 「いいよ、別に。返してもらうつもりない。やる。」 「そういうわけには行かないよ、こんな大金。」 「返さなくていいから、和樹にちゃんと謝ってくれ。」 「えっ。」涼矢の突然の言葉に戸惑ったのは奏多だけでなく和樹もだった。 「最初の、水族館で会った時のこと。」 「だからそれは知らなかったからだって言ったろ。」 「おまえがそういう偏見の持ち主だとは思わなかったって、和樹はショック受けてた。」 「そんなの、いいよ、もう。」和樹は慌てて涼矢を止めた。「今は気にしてないし。つか、あの時、おまえが庇ってたじゃん、奏多は悪くないって。」 「あれは。」  和樹に何か言い返そうとする涼矢を止めて、奏多が言った。「分かった、謝る。」 「いいって。」怒ったように言う和樹に、奏多は深々と頭を下げた。 「あの時は悪かった。おまえたちが付き合ってるのを知らなかったとはいえ、傷つけたことには違いなかった。ごめん。」 「もういいよ、顔上げろよ。」  奏多は顔を上げ、和樹をまっすぐに見た。「これは今の……カオリの話とは違うことだけど、あの時は俺、確かに、自分の中にそういう偏見とか差別意識とかあったんだと思う。そのこと、Pランドで涼矢に言われて、正直そんなことないって腹立ったりもしたんだけど、でも、実際そうだったんだと思う。でもあれから俺、いろいろ考えて、カオリともそういう話、あ、おまえらの話をしたわけじゃないけど、やっぱカオリの教えてる学校でも今は教員同士でそういう勉強会してるとかって話を聞いたりして、反省した。それは本当なんだ。」 「だから、もういいって。」 「すまなかった。」奏多はもう一度そう言い、それから涼矢を見た。「おまえにも謝る。……おまえたちのことそんな風に思ったり、こんなことで金借りたりしておいて言うのもなんだけど、俺、俺はさ。」緊張のせいか、乾ききった唇をぺろりと舐めた。「俺は、涼矢とも和樹とも、やっぱずっと友達でいたいと思ってるし。ふざけんなって思われるかもしれないけど。だから、金も返す。必ず返す。」 「うん。」和樹は奏多に微笑みかけた。だが、奏多の握りしめた封筒を目にすると、ふと、いつかのマスターと夏鈴の赤ん坊が脳裏に浮かんだ。それからその時の夏鈴の言葉も。「俺らのことは、もういい。気にするな。今は、カオリ先生が一番傷ついてると思う。これからもっと傷つくと思う。女の人はさ、その、心も体も傷つくわけだし。そっち一番に考えてあげてよ。」  奏多の封筒を握る手により力がこもった。「分かった。」奏多は少しだけ言うのをためらう様子を見せた後、意を決したように言った。「カオリは、こどもが好きなんだ。だから教師になった。今は高校で教えてるけど、やっぱりもっと小さい子の……小学校の先生になりたいって、でも小学校教諭の免許は持ってないから、通信制の大学で足りない分の単位取ろうとしてた。結婚したらこどもはたくさん欲しいって言ってたこともあって。それで……。」奏多はかいてもいない汗を拭うように、額に手をあてた。「こんなの、こんな決断、一番したくなかったはずなんだ。なのに、俺のせいで。」

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