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第715話 何日君再来 (5)

 返す言葉が見つからずに黙り込んでしまう和樹だったが、涼矢はそんな和樹などその場にいないかのように、またも淡々と言った。「別に強姦したわけじゃあるまいし、合意の上でやることやったんだろ。そんで、今の一時的な感傷で生んだら、その、小学校の先生になるとかいう夢だってかなわないんじゃないの。だから彼女も覚悟決めたんだろ。今更おまえがそんなこと言って、どんな意味があるんだよ。」  和樹は涼矢の腕をつかんだ。「もういいだろ。そんなの、奏多だって分かってるよ。」和樹は奏多を見る。「俺も、おまえだけが悪いとは思わないよ。でも、今まで以上に、カオリ先生のこと、大事にしてあげないといけないと思う。」 「……いろいろ、ごめん。ありがとう。」奏多は涼矢と和樹、それぞれに向かって頭を下げた。  3人はカラオケボックスの駐車場まで戻った。奏多はバイクにまたがると、言った。「じゃあ、こんなとこまで来てもらって悪かったな。地元だと誰に聞かれるか分かんなかったからさ。」  和樹はその言葉を奇妙な気分で聞いたが、とりあえず「もういいって。」と伝える。 「次はもっと良いニュース持って会えるように頑張るから。」奏多は最後にそう言うと、バイクで走り去っていった。和樹と涼矢は奏多の姿がうんと遠くなるまで見届けてから、車に乗り込んだ。  さっきの違和感はなんだろう、と和樹は思う。 ――誰に聞かれるか分かんなかったから。  そう、それを「奏多が」口にしたことがしっくりこないのだ。――あの日。さっき奏多が謝罪してきた、水族館で偶然出くわした、あの時。誰に見られるか分からないことを気にしていたのは俺たちのほうだった。カオリ先生と奏多は、誰が見ても祝福された恋人同士で、俺たちはそうじゃなかった。それなのに、今日はまるで形勢逆転だ。あの時のことなら謝ってもらった。そんな必要ないと思っていたけれど、こうしていざ頭を下げられれば、やっと胸のつかえが取れた気がする。もっと言ってしまえば、今日の奏多の件を聞いて、心のどこかで「いい気味だ」と思ってしまっている自分がいる。そんな自分の醜さが嫌だ。口ではいつもきれいごとばかりを並べているくせに。  車に乗り込んではみたが、次の行先は決まっていない。ただ運転席と助手席に座っただけだった。 「1時間以上かけて来て、奏多と話したのは30分もなかったな。」和樹が言った。 「あんな話、長引かせてもろくなことがない。」 「そうだろうけど。奏多だって愚痴とか弱音とか吐き出したかったんだろ。」言いながら、また偽善者ぶってしまった、と思う。 「あれ以上あいつの話を聞いてたって、安全日だって言うのを信じてたとか、中出ししてなかったのにとか、そんなことしか出てこないよ。聞いたって気分悪くなるだけだ。」 「おまえな、もうちょっと言い方ってもんがあるだろ。いくら俺たちにはそういう心配がないからって。」和樹はそう言い、言った直後に後悔した。「……ってのは、俺が言っていいセリフじゃないな。」  HIVの検査をした。元カノとのセックスに不安があった。涼矢まで巻き込んでいたらどうしようと不安に苛まれた日々。和樹は更に落ち込んだ。偽善は言葉だけじゃない。今までだって自分はろくなことをしてこなかった。いくら冷たい言葉を吐こうが、今日奏多を助けたのは紛れもない涼矢だ。俺はただ、外野からうわべの言葉を言ってるだけで、何の役にも立っていない。 「和樹。」奏多が来てからの涼矢は表情が読めない。この時の涼矢もまだそれを引きずっていた。ただ、和樹は、今更になって涼矢が眼鏡をかけていることに気付いた。その眼鏡が近づいてくる。涼矢がキスしてきたのだ。 「なん、だよっ。いきなりっ。」 「帰るよ。」涼矢はただそれだけ告げて、エンジンをかけた。 「おまえんち?」 「そうだよ。そっちはお母さんいるんだろ?」 「ああ。」 「さっきの続きさせて。」  さっきの。和樹は涼矢の言う「さっき」を思い出そうとする。奏多と会う前の、カラオケボックスでのキス。それから、涼矢は「口でする」と言い出した。未遂に終わったけれど。――あれの続きか。思い出したら恥ずかしくなって赤面した。 「奏多さ、やっぱりおまえのことは頼りにしてるんだな。」和樹はアップダウンする自分の心中を誤魔化すように、そんなことを言った。 「頼りになんかしてねえよ。俺がちょうどよかっただけだろ。そこそこ金持ってそうで、共通の知り合いが限られてて、バレる心配がない。いかにも奏多らしい選択。」 「そんなんじゃないよ。涼矢は口が堅いし、適当な言葉で誤魔化したりしないから。だから信頼される。」俺とは違って、と心の中で付け加えた。「まあ、金のことは、多少、関係してるかもしれないけど。俺だって少しはカンパしてやりたかったけど、無い袖は振れないからな。」 「カラオケ代、出してくれた。」 「あれで精いっぱい。これ以上使ったら東京に戻れなくなっちゃう。」

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