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第716話 何日君再来 (6)
何気なく口にした和樹のセリフに、涼矢は「戻る先は東京か。」と呟いた。
和樹は涼矢の横顔を見た。今は分かる、涼矢の感情。和樹の戻る先は「東京」、その事実を、そしてそれを和樹がごく自然に口にしたことを、淋しく感じているのだろう。それを分かった上で、和樹は「うん。そうだよ。今回帰ってきて、つくづくそう思っちゃった。」と言葉を重ねた。「俺の部屋、あるにはあるけど、俺がいた時とは違うし、自分の家なのに何してても落ち着かないんだ。親は口うるさいし、居場所がない感じ。正直、実家より、東京の自分の部屋に戻った時のほうが、帰ってきたって気がするよ。」
「そう、か。」
「うん。」
涼矢の表情がますます淋し気に沈んでいく。それを見て予想通りの反応だと喜んでしまう和樹。好きなのにいじめたい、好きだからいじめたい。和樹はまるで、小学校低学年の男児のような幼稚な気持ちになっていた。更には何を言い返すでもない涼矢の頬を、中指で弾いた。
「何するんだよ。」さすがの涼矢も不機嫌そうに言う。
「涼矢がいれば、そう思わない。」
「え。」
「こら、前見ろ。」
「見てるよ。」
「だからね、涼矢が一緒にいてくれるところなら、そんな風に思わないよって。おまえの家で一緒にいる時も、東京に来てくれた時も、それから、今も。おまえがいるとこならどこでも、俺の居場所だと思ってる。」
「はは。」ようやく涼矢が笑った。「2人でバックパッカーでもするか。世界中回ってさ。俺と一緒ならどこでもいいんなら、それでもいいだろ?」
「いいよ。楽しそう。」和樹も笑う。「佐江子さんも言ってたもん。学生時代の、時間のあるうちに2人で海外旅行でも行ってくればって。」
「そんなこと言ってたっけ。」
「俺に言ったんだよ。その場におまえはいなかった。」
「へえ。」
「行けたらいいな。世界一周は無理でも、卒業旅行だったら1ヶ月とか、せめて半月ぐらいはかけてさ。」
「その金、貯めておけよ。」
「ローン組めるだろ。」
「就活前にローン当てにするのはどうかと思うよ。」
「就活かあ。」
とめどなく話題が変わっていく。いつの間にか奏多の話題は過去のものとなっていった。いや、2人とも無意識のうちにその話題を遠ざけたくて、そうしていたのかもしれなかった。
涼矢の家に着くと、今日は和樹も乗せたまま地下ガレージの中まで入って行った。ガレージ内の階段から1階へと上がる。前回は靴を玄関に移動したが、今回はその余裕もなく、室内に入った途端に涼矢に抱きすくめられた。
和樹はそんなに焦るなと言いたかったが、キスで口を塞がれて、それすらも言わせてもらえない。やっと唇が離れた時には思わず「ぷはぁっ」と息継ぎのような声が出た。
「そんな切羽詰まってんの?」と和樹が言った。
「ん。すぐしたい。」
「……ベッドまで我慢。」
「えー。」
「えー、じゃねえよ。」和樹は軽く握ったグーの形の手で、涼矢の頭を弱く叩く。
「今日の和樹は暴力的だな。車でもつっつかれたし。」
「暴力ってほどじゃないだろ。」そんな話をしながら、2人は2階へと上がる。
涼矢のベッドになだれこむと、涼矢はすぐに和樹を上から抱きしめた。「もしかして、暴力的にされたいの?」
「馬鹿、そんなんじゃねえよ。」
「じゃあ、優しいのがいい?」
和樹は言葉を詰まらせた。暴力的なのは嫌だ。けれど、じれったくなるほどの丁寧な愛撫はもっと嫌だった。返事の代わりに、涼矢の首に腕を巻きつけて、自分に引き寄せた。そして、涼矢の耳に向かって、「痛いのはやだ。」と、ごく小さく呟いた。
「分かった。」涼矢はにっこりと笑う。それからまた何度もキスをして、そのたびに眼鏡がずれた。それが気になって外そうとすると、和樹がその手首を持ってイヤイヤをするように首を振った。「そんなに眼鏡がいいかよ。」と涼矢が言う。
「うん。かっこいい。」
「普通に言うな。」
「なんで?」
「……照れる。」
和樹は笑って、涼矢の眼鏡に手を伸ばした。両手で左右のつるを持ち、まるで人形を操るように眼鏡だけを上下させる。
「やめろって。」涼矢も笑ってしまう。
「掛けたまましてよ。」
「いいけど……。」
「けど、何?」
「……なんでもない。」
和樹は涼矢を下から抱き寄せて、キスをする。舌を絡める濃厚なキス。顔の角度を変えながら何度もそれを繰り返すと、何回かに一回はリムが当たる。「やっぱ、邪魔だな。」
「だろ? だから。」
和樹は涼矢の眼鏡を外し、つるを畳もうとすると、涼矢が「左が先。」と言った。
「順番あるんだ。」和樹は素直に左から畳みなおし、枕元に置く。
「うん。」
「見えない?」
「見えるよ。」涼矢は笑った。和樹の問いかけが陳腐で笑えてしまうほど、至近距離に顔を寄せあっている。
「なんで今日、眼鏡してたの?」和樹は涼矢の目元にそっと触れながら聞いた。
「深い意味はないけど。」
「威嚇?」
「威嚇って。」涼矢は苦笑した。
「だって、奏多に対して最初からケンカ腰……とまでは言わないけど、あまり良い感じじゃなかったし。」
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