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第720話 何日君再来 (10)

「俺が何?」涼矢は心底分からないと言いた気に首をかしげる。 「いや、いい。別にいい。」 「気になるよ、言ってよ。」 「……こいいから。」ごく小さな声で和樹が言う。 「はい?」  和樹は、ふう、と息を吐く。それで覚悟を決めたようで、今度ははっきりした声で言った。「おまえ、かっこいいから。男から見ても、たぶん、女から見ても。」 「何言ってんの。……彼氏フィルターなら嬉しいけど。」 「で、俺に一途だし。」 「は? それはそうだけど、そう思うなら、なんで不安?」 「……俺しか、知らないだろ。」 「え。」 「俺としかヤッたことないだろ。」開き直ったように直截な言い方で言いなおした。「俺は過去の経験もあって、その上で、おまえがいいって思ってる。つまり、そういう、体の相性つか、そういうことも含めて。けど、おまえはそうじゃないから、不安。もっと相性のいい奴見つけたらどうしようって思うし。」 「ないって。好きな奴としかしないし、和樹しか好きにならないって、そう言ったばかりだろ?」 「他はどうなのかなって気になる日が来るかもしれない。」 「来ねえよ。それに、じゃあいっちょ試してみるかってことにもならないだろ、普通に考えて。」 「普通に考えたら、ちょっとぐらいそういう考えがよぎることもあるだろうが。」 「へえ。」涼矢はムスッとする。「おまえはそうなんだ?」 「だから、俺はもう知ってるから、そんな風には思わないけど。」 「他の男のケツの具合はどうなのか気になって、試すとでも? 俺が? ……ああそう、おまえは俺がそういう人間だと思ってるわけだ。」 「ち、違う、けど。」  涼矢はあからさまに不機嫌な表情を浮かべたかと思うと、体を起こし、ベッドから下りた。 「おい。」と和樹が言った。 「何。」 「どこ行くんだよ。」 「シャワー。」 「怒ってんの?」  涼矢は無言で和樹を一瞥する。 「あのさ、誤解すんなよ。おまえが浮気しそうとか、そういう意味じゃなくて。ただ、つきあいが長くなると馴れ合いになってくるのも仕方ないし、そうなったら、いくら一途なおまえでも、世の中には俺一人じゃないと気づいて、それで、目移りしちゃうかもって。んで、それでいいなんて思えないから、だから不安だって言ってるのであって。」  部屋のドア近くまで移動していた涼矢が、ベッドのすぐ脇まで戻ってきた。やはり無言のまま、半身を起こして必死で弁解する和樹の下にある枕を手にする。その直後にはそれを大きく振り上げて、思い切り和樹に投げつけた。 「痛ってえな、何すんだよ!」和樹は投げつけられた枕を抱きかかえて抗議する。  涼矢はそれを無視して、部屋を出て行った。  バタンと荒々しく閉じられたドアに向かって、今度は和樹が抱えていた枕を投げた。だが、もうその時には反省していた。――今のは俺が悪い。どう考えても悪い。  何故あんなことを言ってしまったのか。その数秒前まで、甘い時間を過ごしていたのに。もちろん理由はある。涼矢が「和樹はエッチが好きだから」などと言い、その上、「相手が俺じゃなくても」とまで言ったせいだ。それらの言葉は「好色な和樹なら他の相手にだって股を開くのだろう」と言ってるようなものだ。涼矢がそんな失礼なことを言うから、こっちだって言ってやったのだ。「だったら涼矢だって他の相手を試したいと思うだろう」と。そんなの、言われたことをそのまま返したようなものじゃないか、と思う。 ――でも、俺が悪い……んだよな。  自分の性体験については、「経験値」と言えば聞こえはいいが、ある種の「前科」とも言える。元カノたちと愛のないセックスをした覚えはないけれど、では愛情あふれる営み「だけ」だったのかと言われれば、そうだとも断言しにくい。快楽に弱いのは事実だ。だから涼矢の要求してくる際どい行為も断りきれないし、心のどこかでは期待さえしている。  それなら涼矢だってと「お互い様」のように言ってはいけなかったのだ。涼矢にはそんな「前科」はないのだから。強いて言えば哲とのハグがあるけれど、その先には進まなかった。進む可能性はあったかもしれないが、その時は「浮気」ではなく「本気」の時だろう。 ――あいつはただ、俺のことを好きなだけなのに。それしか俺に求めてないのに、どうしてそのたったひとつの想いを壊すようなこと。  和樹は枕を拾い、元に戻した。涼矢がここに戻ってきたらきちんと謝ろうと思った。  涼矢はシャワーを浴びながら考える。  一方的に枕を投げつけて、飛び出してきてしまった。どうしてそんなこどもじみたことをしてしまったのか。  無性に腹が立った。自分の愛情を揶揄された気がして。信じてもらえていない気がして。ごくたまにだけれど、和樹はそういう言動をする。変態だのストーカーだの言われるのはどうでもいい。それが冗談なのは分かってるから。でも、ただひとつ、好きだという気持ちを、和樹だけをひたすらに愛しているという気持ちを否定されることだけは、どうしても許容できない。それが冗談だと分かっていても、だ。たとえエイプリルフールの嘘だと明明白白な場面だったとしても、同じ言葉を言われれば今と同じように腹を立てたに違いない。

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