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第721話 何日君再来 (11)

――だって俺には、それしかない。  和樹より成績が良くても。和樹より上手に絵が描けても。料理をこなせても。経済的に裕福でも。そんなものは和樹を振り向かせるためには何の意味もなかった。美しい顔も、豊かな乳房も、くびれた腰も、華奢な骨格も、庇護欲をそそる可愛らしい仕草も、何一つ持っていなかった俺の、たった一つの武器。それは、誰よりも和樹が好きだっていう、その気持ちでしかない。過去形じゃない。今でもそうだ。だから、それだけは冗談でも否定されたくない。  でも、先に仕掛けたのは自分だ、とも思う涼矢だった。和樹の性欲なり性癖なりがどうであれ、それと「誰とでも寝る」は決してイコールで結ばれるべきものじゃない。そこまで深い意味で言ったわけではなく、自分より経験が多いことに嫉妬してつい口を突いた軽口ではあるけれど、結果として和樹を貶めてしまったことには変わりない。 ――部屋に戻ったら、和樹にちゃんと謝ろう。  和樹はふと、涼矢が部屋に戻ってくるのを待つ必要はないのだと気づいた。そもそも涼矢より自分のほうがシャワーで洗い流すべき状態だ。脱ぎ散らかした服を拾い集めて、自分も階下に行く。バスルームからはシャワーの水音がした。半透明の扉を軽く叩く。水音が止まったのを機に、蛇腹の扉を開いた。 「……何?」涼矢は無愛想に言う。謝ろうとは思っていたが、いきなり愛想よくはできなかった。 「俺もシャワーしようと思って。」和樹も似たようなものだ。まずは謝らなくてはという気持ちで来たのに、どうも喧嘩腰の口調になってしまう。 「すぐ出るよ。待ってろよ。」涼矢は背中を向けて再びシャワーを出した。髪を洗っている途中だったらしく、頭にはまだ泡が残っている。シャワーだけで済ませているようで、バスタブは空だ。 「洗ってやろうか?」と和樹が言う。  頭から湯を浴びている涼矢は答えるにも答えられない。そもそも、シャワーの音で和樹がなんと言っているかも定かではなかった。ただ、何か話しかけられていることだけは分かって、一通り髪をすすぐと、またシャワーを止めた。「何か言った?」 「洗ってやろうかって。でも、もう終わったみたいだな。」 「……ああ。」 「じゃあ、俺のこと、洗ってよ。」  涼矢はキョトンとする。「いいけど……なんで、突然。」突然の和樹の言葉に、腹を立てていたことも、申し訳なく思い謝ろうと思っていたことも、するりと頭から抜けてしまった。 「えーと。」和樹も何故自分がそんなことを言い出したのか、自分でも分からなかった。単に涼矢をこの場に引き止めるための口実に過ぎなかった。「ほら、おまえ、俺の手術跡、見てみたいって言ってたし。」たまたま思い出したそんなことを言い出してみる。  涼矢が和樹の視界から消えた。和樹はその光景に見覚えがあった。見覚えも何も、今日の出来事だ。カラオケボックスでしゃがみこんだ時。それからさっきのセックスの前、その続きをするのだと言って、床にひざまずいた時。  涼矢は和樹の腹に手を当てて、本当に臍を観察しはじめた。「傷、もう分かんないね。」 「だろ? もう、痛くもなんともないよ。」 「良かった。」涼矢は和樹の腰骨をさするように触る。そして、そのまま顔を上げた。「なあ。」 「……続き、したいの?」 「だめ?」 「無理やり咽喉につっこむのとか、俺、無理だから。」 「いいよ、勝手にやる。和樹は、そのままでいい。」 「そのままったって……うわ。」涼矢はいきなり和樹のペニスを口に頬張った。  涼矢は「ひょめんなよ」という声を発した。和樹が聞き返すと、いったんペニスを口から外す。「止めんなよって言ったの。俺が好きでやってんだから、こっから先は、止めるな。」 「でも。」言いかけた矢先に、「くっ。」という声が出た。萎えていたはずのそれがまたぞろ、立ち上がってくる。涼矢の口の中。見下ろす涼矢の黒髪はしっとり濡れていて、絶え間なく前後に動いている。そして、舌も唇も上顎もフル活用で和樹のペニスに絡みついてくる。「う……。」急激な刺激に、思わず腰が引けてしまう。背後は蛇腹状に開くバスルームの扉で、体重をかけて寄りかかれるような代物ではない。腰が砕けそうになるのをこらえながら、涼矢のフェラチオに身を委ねた。  やがて、舌先で舐められている感触は遠のいて、前後する唇での刺激が主になった。最初は先端を、そのうちには中程を、涼矢は歯を立てないようにして唇でしごく。その唇が根元近くまで迫ってきた。こんなに深く口の中に挿入したことはない。その分、ペニスの先端は涼矢の口の最奥、いや、もうそこは口腔という言うよりは咽喉にまで達しているはずだった。 「うあ……ちょ、涼、そんな……あっ、やば、これ、やばい……。」和樹も知らない感触だった。女性器とも違う圧迫感を亀頭に感じる。咽喉の締まりがこの感覚をもたらしているのだろう。「あっ、あ、ああ……。」無意識に涼矢の頭に触れるが、決して押さえつけはしなかった。苦しくはないのだろうか。苦しくないはずがない。和樹は涼矢の表情を確かめたいけれど、濡れた髪が邪魔でよく見えない。ただ、涼矢の口の端から顎を伝って唾液が垂れているのは見えた。ローションを使った時のような水音は、きっと涼矢の唾液なのだろう。しはじめの時には、咽喉を突かれて苦しいのか、時折普通のフェラのように浅く咥え直していたが、だんだんと喉奥にキープする時間が長くなる。涼矢の学習能力はこんなことまで高いのか、と妙なことに感心してしまう。

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