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第723話 何日君再来 (13)
「違う。アルコール成分はない。ただのジュースだよ。」
「じゃあ、それ飲もうかな。」
「水か炭酸水で割って。炭酸水はそのへんにボトル入ってるだろ。水はサーバー。」
「サーバー?」
「ウオーターサーバー。」
和樹はきょろきょろ見回した。そして、涼矢の言うウオーターサーバーを発見する。「こんなの、前からあった?」
「なかった。けど、おまえがこっち来た時にはあったぞ、導入したのは半月ぐらい前だから。ほら、柳瀬たちが来た時に飲んでたのもそれだし。気が付かなかった?」
「気が付かなかった。前はここ、何があったっけ。」
「ワインセラー。」
「ああ、そうか。で、それはどこに?」
「それはあっちに。あそこは観葉植物を置いてたけど、佐江子さんが職場に持って行った。」涼矢が部屋の片隅を指差した。
「ふうん。」和樹は涼矢の説明を聞きながら、結局はウォーターサーバーの水ではなく、冷えた炭酸水で梅シロップを割って飲む。「美味しい。」
「だろ。」
「いいなあ、ウオーターサーバーとか、ワインセラーとか。さすが田崎家。」
「サーバーはレンタルだし、それほど高くないよ。そもそも、本当は食器洗い機のはずだった。」
「え?」
「佐江子さんが皿洗い面倒くさいから食器洗い機を買おうって言ってて。でも、洗うのほとんど俺だしさ、その俺が要らないって言ってるんだから要らねえだろって言ったら、今後は俺がちょいちょい東京行くようになるだろうから、だって。それでちょっと言い合いみたくなって……気が付いたらウォーターサーバーになってた。」
「どうして食器洗い機がサーバーになるんだよ。」
「なんでだろうな。」いつの間にか涼矢もキッチンのほうに来て、和樹の残した炭酸水で自分も梅シロップを割った。
「なあ。」
「ん?」涼矢はグラスに口をつけながら和樹を見た。
「俺と住んでも、そんなリッチに暮らしはできねえぞ。辛抱できる?」
涼矢は梅ジュースを吹き出しそうになり、むせる。「な、何をいきなり。」
「現実問題、俺、大企業には入れないだろうし、いくらおまえの稼ぎが良くても頼りきりになるのも嫌だし。」
「俺だって高給取りになるれかどうか。少なくともおまえが就職した時点じゃまだ司法試験通ってない可能性が高い。……つまり、ただの無職。」
「でも、いつかはあれだろ、都心の、夜景の見える高層マンションだっけ。」
「……ああ、そんなこと言ったな。」
「まあ、それはいつかの夢として。もうちょっと近い将来の話。」
涼矢は壁のカレンダーを見る。それを見たところで載っているわけでもない未来の日付について考える。だが、それはさほど遠くはない未来のはずだ。「3年……いや、2年半後には、学生じゃなくなってんだな。」
「信じらんねえな。この間まで大学受験がどうのって言ってたのに。」
「うん。」
「だから、あっという間に、そういう日も来る。」
「……うん。」
「一緒にいられたら、さ。」和樹は涼矢の手にそっと自分の手を重ねた。「同じ家で暮らせたら、俺はおまえを不安にさせたり、しないと思う。」
「それはおまえのせいじゃないって。さっきのだって、俺が勝手に。」
「離れてても大丈夫だと思うよ、俺らは。今までだって、問題はあったけど、なんとか乗り越えてきた。でも、それは他にやりようがないから、それで耐えられてるだけで。大学出たら話は別。俺もおまえも一緒にいられる選択肢があるのにそうしないってのは、俺には無理そうだから。」和樹は重ねた手の指先に力を込めた。「こっちか、東京か、全然別の土地か分かんないけどさ、そうなった時には、ウオーターサーバーも食器洗い機もない家でも我慢して一緒にいて欲しいなぁって思ってる、ん、だけど……。」文末に行くにつれ、声が小さくなる。
涼矢が手を裏返して、和樹と指をからませた。「もちろん。」
「ん。サンキュ。」
「どうせ、俺が断るとは思ってないんだろ?」涼矢は笑う。
「まあね。」和樹もにやりと笑う。
「おまえがイヤだって言っても、押しかけるよ。」
「こっわ。」
「そうしたいって言ってたくせに。」
「はは、そうだな。」
どちらからともなく、唇を合わせる。ほんのりと梅の香がする。
「今度、俺んち……東京のほうの俺んち来た時、これ、作ってよ。」和樹が言う。
「梅シロップ? 時間かかるよ? 作るのはそんなでもないけど、飲めるようになるまでに10日ぐらい漬けておかなきゃ。」
「そっか。」
「あ、これ気に入ったんなら、持って帰る? ビンごと持って行っていいよ。」
「いや、おまえが作ったやつがいい。作って、持ってきてよ。」
「えー。」涼矢はいかにも嫌そうだ。
「じゃあ、またジンジャーエール作ってくれる?」
「それならいいけど。」
「前に作った時のビン、まだ取ってあるから。」
「うん。」
他愛もない約束。そんな約束をしなくても会える関係なのは分かっている。理由なく電話をかけても、アポイントなしに押しかけても、お互い気にしないだろう。
――それでも、実際、帰省でもないのに無断でいきなり押しかけたら、どうしたのか、何かあったのかと問いただすだろう。その答えが「ただ会いたくなっただけ」でもいいのだけれど、口実が欲しくなる。
――一緒に暮らしていたら、そんなものなくてもいいのに。
お互い言葉には出さなかったが、同じようなことを考えていた。
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