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第726話 何日君再来 (16)
慌ただしい挨拶を済ませて、和樹はふうと一息つき、食事の続きをしようとした。だが、向かいに座る宏樹が浮かない様子をしていることに気付く。「どうした?」
「いや……。友達の紹介って聞いてたから。今の人が、その友達なのかなって。」
「そうなんじゃない?」
「男性だとは思ってなかったからさ。」宏樹は男が立ち去って行った先の厨房を見る。だが、中で働く人間の姿は見えない。
――そっか。ここを紹介したのがバツイチのシンパパだってこと、兄貴も親父も知らないんだった。
「友達と言っても、町会の人の友達って言ってたよ。」
宏樹は和樹をジロッと見た。「それにしては、やけに慣れ慣れしくなかったか?」
「そ、そうかな。」
「あの男、変な気起こしてなきゃいいけどな。おふくろは世間知らずだから。」
「あんなおばさん相手に変な気って。」
「おばさんだけど、おじさんから見たら充分ターゲットになるんだよ。うちの学校でもそういう話、たまぁに聞くぞ。PTAで知り合って、とかな。」
「勘弁してよ。」
「俺だって勘弁してもらいたいね。帰ったらおふくろに釘さしとかなきゃ。」
「どっちが親か分かんないな。」和樹は笑った。笑って受け流したかった。だが、本音は宏樹と同じだ。それもあって今日こんなところまで来た。不安が払拭できたわけではないが、これで宏樹と母親が置かれている状況を共有できたから、あとのことは宏樹に任せられる。涼矢や恵になんと言われようと、やはり宏樹を頼りにしてしまう自分がいた。
そんなこともありつつも、ようやく和樹が実家を離れる日となった。涼矢が新幹線の駅まで送っていくと言い、車で迎えに来た。
「あ、忘れてた。」走り始めてしばらくして、和樹はバッグの底から、隆志にもらったウーロン茶の缶を発掘する。「入れっぱなしにしてた。悪い、これも親父の中国土産。」
「ああ、そういや言ってたな。」運転しながら涼矢が答える。
「入れとくね。」和樹は涼矢のバッグにそれを移動した。財布とメガネケース程度しか入っていない。
「サンキュ。」
涼矢のバッグも、涼矢の家の冷蔵庫も、勝手に開けてもいい仲にはなった。それでも帰る家は違う。和樹はぼんやりとそんなことを考える。だが、考え出せば淋しさが増すのは分かっている。和樹は違う話題で気分を変えることにした。
「奏多、どうなったかな。」
「……。」涼矢は無言だ。こういう時に口を閉ざす涼矢は、和樹の知らない何かを知っていたり、和樹の考えが及ばないような意見があるからこそ、黙っている。そんなことも分かるようになった。
「奏多から何か連絡あった?」とダイレクトに聞いた。
「……ああ。」
「思い直したり……は、しないよな。」
「しない。ていうか、もう終わったよ、手術。先週のうちに。」
「そっか。体調は大丈夫なのかな、カオリ先生。入院したのかな。」
「入院なんかしたらまずいだろ。誰にもバレないように済ませなきゃならないんだから。」
「手術したのに、日帰りか。」和樹は自分の盲腸の時のことを思い出す。「ああいう手術は切ったり縫ったりしないのかな。」
「俺に聞くなよ。」
「……悪ぃ。」
しばらく無言が続く。別れ際の淋しさを紛らわせるつもりで出したカオリの件だったが、余計に重苦しい雰囲気になってしまう。
――奏多とカオリ先生は好きあっていて、結婚だってできる年齢で、誰に交際を反対されているわけでもない。カオリの妊娠は、結婚した後なら……せめてあと数年後、奏多が定職に就き、カオリが念願の小学校教師になってからのことだったならば、祝福され喜ばれたはずのことだっただろう。
――一方では、望んでもなかなかできなかったという夏鈴のような人もいる。確か佐江子だって不妊治療の末に涼矢を生んだ。
和樹は呟く。「欲しいところにはできなくて、今は要らないって思ってるところにはできちゃうなんて、神様も意地悪だよなぁ。」
「欲しいのにできないってのは不運ってこともあるかもしれないけど、奏多みたいのは、神様のせいじゃないだろ。男と女がヤルだけヤッておいて神様のせいって、おまえ。」涼矢は前方に顔を向けたまま淡々と言う。奏多を相手にしていた時もこんな表情だった、と和樹は思い出す。
「でも、俺らだってヤッてるじゃん。」
「おまえ、妊娠すんのか?」
「しないけど。」
「何が言いたいんだよ。」
「好きだから。」和樹はどう伝えていいのか迷いながら、言葉を重ねる。「好きな相手だから、キスしたいし、セックスだってしたいと思うんだろ。それは俺たちも奏多たちも変わらない。俺たちが清く正しくて、奏多がだらしないってわけじゃない、だろ?」
「奏多がどういう理由でセックスしてるかは知らないけど、まあ、俺たちのほうがあいつより貞操観念があるってことはないだろうな。」
「奏多にも非はあったと思うよ。ちゃんと避妊しなかったとかさ。でも、自業自得だなんて責められないよ、俺には。」
「俺だって責めてない。」
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