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第728話 オトナトコドモ (1)
和樹は予定を大幅に超過して実家に居座ってしまっていた。半月ぶりに戻ったアパート。階段下の集合ポストを見れば、チラシやDMが溢れんばかりになっている。実際何枚かは入りきらずに足元に散乱しており、拾おうして電力会社の検針票がそこに紛れていることに気付いた。個人情報の保護はどうなってるんだ、と心の中でブツクサ思いながら拾う。拾って、やけに使用量が多いと思う。
「あ、うちじゃねえじゃん。」和樹はひとりごちた。検針票の宛名は、三代川慧樹となっていた。例の隣人だ。――ミヨカワケージュ。こんな字を書くのか、と思う。和樹は無造作にその紙を隣のポストに押し込んだ。
部屋に入ると、まずはその不要なチラシ類をゴミ箱に捨てた。その次に請求書などを順にチェックした。三代川家と同じく検針票もある。それによれば、本来の自分の部屋の電気代はいつもより少ないぐらいだった。隣室とは間取りはほぼ同じはずなのに、どうしてこうも金額が違うのだろうと訝しく思ったが、その次に「S高校同窓会名簿作成のお知らせ」と印刷された封書を目にしたら、三代川家の電気代のことはすぐに忘れた。
同窓会名簿は、要はそれが完成した暁には購入しろ、更には広告を出せ、母校へのカンパも募る……という話だ。名簿を元に営業攻勢でもかけたい商売人や、SNSもない時代の大先輩方ならいざ知らず、和樹には不要のものだった。
ただ、それを見て、また奏多のことを思った。
奏多については、正直、以前のようには信頼できなくなってしまっている。自分と涼矢に対する言動には悪気がないことも分かるし、仕方ないとも思う。謝罪も受けた。もう恨みにも思っていない。けれど、心理的な距離は高校時代よりうんと遠くなった。
それでも、だ。そのことを差し引いてなお、やはりカオリの身の上に起きたことはかわいそうだと思うし、懸命に彼女を支え、できる限り責任を負おうとする奏多を、ある意味「偉い」とも思う。確かに涼矢の言うように、自業自得であり、本人の軽率さが招いたことには違いないのだけれど。
そして、車の中での涼矢との会話では、結局意見は決裂したままだったことに気付いた。それがどこか不思議な気がした。
――今までは、こんな風に意見が合わなかったら。気持ちが分かりあえなかったら。がっかりしたり、イライラしたり、悲しくなったりしてなかったか? 涼矢は理詰めで俺を論破しようとして、俺は感情的になって反論したりして、何日もこじらせなかったか? でも今日は、決裂したままこれといった結論も出なかったのに、どうしてだか最後は笑いあい、再会を楽しみにすると言い合い、穏やかに別れた。あえてそうしようと思ったわけでもなく、自然に、だ。
和樹はフフッと笑った。
――俺たちはどちらかが変化するのでもなく、溶け合ってひとつの何かになるのでもなく、お互いの性質を保ったままただ混じり合って行くのだと。そういう2人になるのだと、そんな風に思ったことが、あったよな。
どうしてそんなことを思ったのかは忘れた。でも、そう思った時、幸せな気分だったのは覚えている。
――今回の奏多のことも、きっとそうなんだ。考え方が違っていてもいい。俺は俺で、涼矢は涼矢で。それをお互い認め合って、俺たちは進んで行く。
涼矢はその晩、1人で夕食をとった。よくあることだ。そして、1人で食べるなら手の込んだ料理は作らないのが常だ。けれど、今日は少々手間をかけた。圧力鍋で作った、骨付きチキンのカレーだ。もしかしたら和樹は夜に出発するかもしれない、経つ直前にうちに寄って食事ができる時間があるかもしれない、そんな淡い期待があった。そうなった時のためのチキンカレー。労せずとも骨からほろほろと崩れるほど柔らかくなった鶏肉を、是非とも和樹に味わわせてやりたかったが、明日からの講習の準備も何一つしていないからと、昼のうちに発ってしまった。
保存袋にでも入れて持たせてやるには、逆に時間がなさ過ぎた。残念だが仕方がない。和樹が食べるはずだったチキンは、今日もおそらく遅くに帰宅する佐江子の胃に収まることだろう。
そんな夕食を終えると、無性に和樹の声が聞きたくなった。でも、「無事にアパート着いたよ」という連絡なら、とっくにもらっている。明日の準備に忙しいであろう和樹に電話をかけるのは憚られた。
未練がましくスマホで和樹との過去のやりとりを眺めた。だが、なんの慰めにもならない。こんな時に役に立ってくれそうな気の利いた話し相手などいるはずもなく、涼矢はいたずらに連絡先のリストをスクロールして眺めた。
『明生くん』
リストの冒頭近くには、そんな登録名が見えた。和樹の教え子。和樹に好意を寄せている中学生。その「好意」がどれほどのものなのかは分からないけれど、家庭教師を恋い慕った自分と重ねずにはいられなかった。
涼矢は明生にメッセージを送ってみた。実のところ、和樹が帰省している間は明生のことは忘れていたが、再開するならちょうどいいタイミングだと思った。瞬時に既読マークがつき、通り一遍の挨拶を終えると、涼矢は和樹が既に東京に戻っていることを告げた。
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