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第731話 オトナトコドモ (4)

[言わない]  と涼矢は答える。 [心配かけるから?] [カッコつけたいから]  しかし、和樹には言わなくても、明生には吐露してしまう。ご丁寧に「和樹の前ではカッコつけたいから」などという、「カッコ悪い」理由までも。  そんな涼矢に向かって、明生は「2年も付き合ってるんだから、今更カッコつけなくてもいいんじゃないですか」「涼矢さんは充分カッコいいのに」などと、涼矢を喜ばせるような言葉を連ねてくれる。それはなんとも奇妙な気持ちだった。  自分は明生の、なかなか人には言えない話を聞いてやり、なんとなれば励まし、フォローするつもりだった。でも、この会話ではすっかり逆の立場だ。自分の弱さをさらけ出すことで明生の警戒を解いてやる……そんな気持ちもないではないが、少なくとも今この瞬間は、単純に明生に聞いてもらいたいだけだ、と涼矢は思う。今まで、こんな弱さを言える相手などいなかった。 ――まいったな。甘えてるのは俺のほうか。  明生は「先生から愚痴を言うことはないのか?」とも聞いてきた。涼矢が「ちょっとしたボヤキぐらい言うけれど、本格的な愚痴は聞いたことがない」と答えると、明生は言った。 [大人ってそういうもんですか]  大人。一足飛びに大人になりたいと何度思ったことか。今でも思っている。けれど、明生から見れば、こんな未熟な自分も「大人」なのかと驚く。 [別に俺らはそんなに大人じゃないよ(笑) お互い見栄っ張りなとこあるからね]  そうして言葉にすると、自分でもはっきりと分かる。そう、互いに愚痴も泣き言も滅多に言わないのは、大人だからじゃない。俺たちはいつもそうやって、意地張って、見栄張ってやってきた。ライバルとしてお互いの存在を認めてきた時間が長過ぎて、今更の路線変更は難しい。でも、そんな関係を俺は悪くないと思ってる。たぶん、和樹も。  余裕のある大人になって、和樹の愚痴でも弱音でも聞いてやりたい。そんな思いも本心ではあるのだけれど、きっと今の自分たちに相応しいのは、こんな対等な関係で。  そんなことをつらつらと考えながら明生への返信を打つ。「元々同級生だし、こういう対等な、ライバルみたいな感じが]――ちょうどいいんだ、と続きを書こうとして手が止まる。涼矢はその文章をすべて消した。  明生は和樹が好きなのだ。決して対等ではない、年上の、塾の先生が。そんな明生に「対等な関係がいい」と言い切ってしまうのはどうなんだろう。  涼矢は文面を書き直し、そちらを送った。 [人によると思うよ お互い甘えたり愚痴ったりすることがコミュニケーションだっていう人たちもいると思うしさ でも 俺らはそういう感じじゃない]  それから立て続けにこんなことも送った。 [と言ってるけど 俺、今、明生くんに思いっきり甘えてるね(笑)]  明生は今のままでいいのだと言ってやりたかった。和樹が明生の気持ちに応えてやることはないだろうけれど、それはただのタイミングや相性といった話で、明生に何か落ち度があるせいではない。明生は明生で、今もこうして、俺の役に立ってくれてる。そんな気持ちを込めた。  涼矢の「親心」を知ってか知らずか、明生はふざけて「よしよし(笑)」などと返信してきた。 [ありがとう 元気出た] [僕もがんばります] [うん がんばろうね]  最後はそんな風に「大人らしく」まとめて、この日のやりとりを終えた。  1日遡り、和樹は夏期講習の初日を迎えており、そのボリュームに今更ながら圧倒されていた。普段は最高で3コマ。それが夏期講習だと倍に増える。しかもいつもは週に3回だが、講習中は1タームあたり5日間。明生たち中1生は1ターム4日間だけれども、和樹は他の学年も掛け持ちしている関係で、日程がずれて5日間連続勤務となる。それが2タームある。その日やった作文の添削や小テストの採点、それに翌日の準備と、とにかく忙しい。  だから、正直、明生のことを特別に気にかけてやる余裕もなかった。でも、時折視線を感じて目をやると、やはりそこには明生がいて、何か言いたそうな顔をしている。それでいて目が合うとさっと視線を外し、構うなオーラを出す。その横顔は耳たぶまで真っ赤で、和樹を意識しているのが丸分かりだ。  そんなことが1日のうちに何度かあり、さすがに和樹も気になった。一通りの授業を終えると、そそくさと逃げるように帰ろうとする明生の後姿が見えて、慌てて追いかけた。  明生はエレベーターではなく、階段で降りようとしていた。教室は4階で、終業時刻前後はエレベーターが混み合って余計に時間がかかる。それを避けて階段を利用する生徒は少なくない。3階と4階の間の踊り場のところで、和樹は明生の肩を掴んだ。驚いて振り向く明生の顔は、やっぱり真っ赤だ。 「明生、どうした、顔真っ赤。熱でもあるんじゃないの?」和樹は明生の額に手を伸ばす。  明生はその手を避けて「大丈夫です。」と言った。

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