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第736話 オトナトコドモ (9)

 授業自体は滞りなく終わり、明生は約束通り教室に居残っていた。和樹は教室の外に注意を払いながら、明生にスマホを出すように言い、自分のスマホもこそこそと取り出して、素早く連絡先を交換した。「教室長にバレるとヤバイから、内緒ね。他の子にも。詳しいことはまた夜にでも連絡するから。」  それだけ一方的に言うと、和樹はそそくさと教室を出た。  涼矢は明生の連絡先を知っている。だが、正面切って明生の連絡先を教えろと言っても、涼矢は断るに違いなかった。涼矢はどうしてだか「守秘義務」に対して厳しい感覚の持ち主だからだ。「明生に伝えておいて」と、涼矢を介して連絡先を知らせることならできそうだったけれど、それでは自分の気持ちが明生にまっすぐ伝わらない気がした。  だからこんな形で、塾のルールを破ってまで、明生とコンタクトを取ることを選択した。  望む答えは与えてやれないけれど大切には思っているのだと、明生に分かってもらいたかった。  帰宅して涼矢にメッセージを送ると、涼矢からは折り返しの電話がかかってきた。 ――講習、お疲れ。 「うん、ありがと。……でさ、早速だけど、明生の件。」 ――ああ。なんかプラン思いついた? 「それが何も。なあ、おまえ、明日何時頃こっち来られるの。」 ――東京駅に1時ちょい前に着くから、和樹んちには1時半ぐらいかな。 「そしたら、いったんうち来て荷物置いたら、その足で明生に会いに行くというのでもいい? いいなら明生にそう伝えておく。」 ――いいけどさ、ノープランなんだろ? 「前にアイロン台を買いに行った商店街あるだろ。あの中に喫茶店もゲーセンもカラオケもあるから、そのあたりウロウロすればいいかなって。」 ――そんなのでいいの? 「中学生なんてそんなもんだろ? それにスペシャルゲストがいるわけだし、それだけでも喜ぶよ。あ、おまえが来るのはサプライズにしようかな。」 ――スペゲスって俺のこと? 「そう。」 ――逆だろ、彼にとっては俺は邪魔者だろ。せっかく大好きな都倉先生と2人で会えると思って来るのに、実は俺もいましたなんて、ガッカリさせるよ。 「そんなことないよ。先に言うと、あいつ、変に気を使って、じゃあボクは遠慮します、なんて言い出しかねない。」 ――ああ、確かにそれは言いそう。 「だから。」 ――……分かったよ。でも、本当にそれだけでいいの? 俺と3人でお茶して、カラオケとか。それで解決する? 「分かんねえけど、まあ、それはその場の雰囲気で判断するしかないよな。」 ――俺、空気読んで気の利いたこと言うとか、そういうの無理だからな、俺に期待するなよ? 「してねえよ。」和樹は笑った。  そんな会話をひとしきりして電話を切ると、もう23時近くになっていた。慌てて明生に電話しようとして、思いとどまった。――夜の11時って電話していい時間帯だっけ。  和樹は自分の中学生時代を振り返る。その頃は引っ越す前の社宅で部屋数がなく、宏樹とひとつの部屋を共有していた。自分用のスマホは与えられていたけれど、22時を過ぎたらリビングに置くように言われていた。とはいえそのルールを守ったのは最初のうちだけで、大抵は部屋に持ち込み、深夜までチャットツールを使って友達とやりとりしていたものだ。  明生の環境がどういうものかは分からないが、念のため電話はやめてメッセージを送った。 [遅くなってごめん まだ起きているかな]  明生からはすぐに返信が来た。 [起きてますよ] [講習の後片付けとか新学期の準備してたら遅くなっちゃった ごめん もう寝るところ?]  適当な嘘で誤魔化しつつ、明生の状況を確かめてみる。「大丈夫です」という返事が来て、ひとまず胸を撫でおろした。 [明日午後 時間あったら 例のカフェ来てくれない? 帰省した時のお土産があるんだ] [本当ですか? やったー 全然ヒマです]  素直に喜んでくれる明生に、さっきの涼矢の言葉がひっかかる。「大好きな都倉先生に会えると期待して来たのに」というやつだ。やはり正直に涼矢も同席すると伝えるべきかと一瞬迷う。でも和樹には、涼矢がサプライズ登場することで明生がガッカリするとは、どうしても思えなかった。今伝えてしまうことで明生が遠慮してしまうデメリットの方が大きい。最後はそう判断して、当初の計画通りに話を進めた。 [2時頃でいい?] [はい]  無事に約束が取り付けられたところで、「講師と生徒が個人的に連絡を取り合うのは禁止だから、誰にも言うな」と念入りに口止めするのも忘れない。明生に秘密を持たせるのは少々気が引けるが仕方がない、と自分に言い聞かせる和樹だった。  翌日、涼矢は予定の新幹線に乗り、無事に東京駅には着いたものの、そこから乗り換える中央線がトラブルで遅延しており、和樹の部屋に辿りついたのは本来の時間より10分ほど遅くなった。たかが10分ではあるが、明生との約束の14時に指定した喫茶店に着くにはギリギリだ。そのせいで、涼矢は荷物を置くだけ置いたら、すぐにまた外に出るはめになった。  ただ、その一瞬の滞在だった玄関先で、キスだけはした。

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