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第737話 オトナトコドモ (10)

「悪いな、来たばかりなのに急かして。」和樹は涼矢の首に手を回したまま言う。 「いや、構わないけど、だったら荷物持ったまま現地直行でもよかったのに。」 「だって。」和樹はもう一度キスをする。「これができない、だろ?」 「悪い先生だな。」涼矢は笑う。 「良い先生だろ、生徒のためにキスだけで我慢して、仕事でもないのに時間使って。」和樹は涼矢の肩を支えにして、靴を履く。 「自分で言ってりゃ世話ない。」  それから2人は早足で駅に向かった。目的の駅は2駅先で、乗れてしまえばものの5分で着くのだが、まだ遅延の影響が残っているようで、電車がなかなか来ない。これでは14時到着は絶望的だと分かり、和樹はホームから明生に電話をした。すると明生は既に店の前にいると言う。 「え、もう店の前なの? そっか、ごめん、少し遅れるかも。先に入って待っててくれる? 好きなもの頼んでね。」  時間を守れと言う側の立場なのに、と反省しつつ、和樹は明生に伝える。明生は和樹を責めることなく、ハイ分かりましたと素直な返事をしてきて、余計申し訳なさが募った。 「明生くんにはなんて言えばいいの? 俺がいる理由。」ようやく来た電車に乗り込むなり、涼矢が言った。 「え、別に、夏休みだから遊びに来たってことでいいんじゃないの。」 「でも、何日か前にも連絡取りあったばかりだよ。その時には何も言わなくて、いきなり来たら、やっぱりちょっとショックじゃない?」 「俺としては、何日か前にも連絡取ってたって聞いてショックだわ。なんだよ、そんなに密にやりとりしてたのかよ。」和樹は少々不貞腐れた。涼矢と明生が親しくすることは決して嫌ではないのだが、蚊帳の外にされるのは複雑だ。 「だからさ、明生くんもそういう気持ちになっちゃわないかってこと。」 「……おまえが急に思い立ったってことにしとけ。それが一番角が立たない。」 「俺が悪者?」 「悪者じゃないだろ、俺にも明生にも会いたくなったから来ちゃったよ、って言えば。」 「なんか納得行かねえな。」 「細かいことは気にするな。ほら、もうすぐ着くぞ。」  2人は待ち合わせのカフェの前に立つ。和樹がガラス戸を押し開けると、すぐ近くに明生がいるのが見えた。おそらくは店に出入りする人にずっと注目していたのだろう、こちらを向いていた明生とすぐに目が合った。和樹が手を振ると明生も振り返してきた。  その様子を見た店員が「お待ち合わせですね。」と声をかけてきた。 「はい、あそこの席の」と言いながら明生の席を指差そうとして、そこが二人掛けの席だと気づいた。「あ、1人増えて3人なので、広い席に移っていいですか?」と店員に伝えた。 「はい、ではあちらの席にご案内いたします。」店員が奥のほうの6人掛けのテーブル席を示した。店員の後ろに連なって、和樹と涼矢が進んでいく。  それまで何かの死角に入っていたのか、明生は涼矢の存在が分からなかったようで、次第に近づいてくるのが和樹だけではないと知ると、目をまん丸くして驚いた。  和樹は明生の脇まで来ると立ち止まり、親指を立てて背後の涼矢を差した。「お待たせ。ま、こういうわけなんで、広い席に移ってもらっていいかな。」と明生に話しかける。  3人と、そして明生の飲みかけのアイスティーを持った店員が広い席へと移動を終えると、和樹と涼矢はアイスコーヒーをオーダーした。それらの飲み物も間もなく揃って、ようやく雰囲気が落ち着く。  落ち着いたところで、明生は改めてしげしげと涼矢を見て、「びっくりした」と呟いた。 「はい、これが言ってたお土産。」和樹は隣に座った涼矢を指差した。お土産を渡したいから。それが明生を呼び出す口実だったのを思い出したのだった。 「いつこっち来たんですか。」明生は、まだどこか信じられないようなものを見るような目で、涼矢を見ている。 「さっき。で、和樹んち寄ってすぐ、ここに来た。」涼矢が答えると、和樹が電車が遅延していたせいで遅くなったのだと補足し、明生に謝った。 「電車? 先生んちってこの近くじゃないんですか?」  明生とはこの商店街で2度ほど偶然遭遇しているから、近所に住んでいると思い込んでいたらしい。 「俺のアパートは2駅隣。」 「そうなんですか。」明生はまた涼矢を見る。「それにしても、涼矢さん、東京来るなんて全然言ってなかったじゃないですか。」  涼矢の危惧が的中したようで、明生は少しばかり責め口調だ。何も知らされていなかったことはやはり不本意だったのだろう。  そんな明生を前に、涼矢こそ「ほれ見ろ」と和樹を責めたくなったが、今ここでそんなことを言い出しても仕方がない。結局は和樹が言っていた路線で誤魔化すことにした。「急に決めたからね。」  ところが、和樹のほうは庇うでもなく「おまえ、結構突然来るよな。今回だって昨日になってこっち来るって言いだして。」などと言い出した。  せっかく口裏を合わせてやったというのに、調子に乗る和樹に涼矢は内心腹が立ち、「突然来られると困るの?」と、明生の前でわざと意味深にニヤリとしてみせた。

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