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第740話 オトナトコドモ (13)

 明生は見知らぬ女性まで来ると聞くと怖気づき、「だったら僕は行かなくても。」と遠慮したけれど、和樹はいやいやと首を横に振る。 「何言ってんの。来てよ。教え子も一緒って伝えたら、エミリも会いたいって言ってた。ただ、彼女めっちゃ体育会系で上下関係に厳しいから、明生、パシリにされるかもしんないけどな。」カチューシャ姿の涼矢を連れ歩かないで済むことに、よほどホッとしたらしく、和樹の口は滑らかになっていた。  それと反比例するように、涼矢は一転して無口になる。どこか不機嫌そうな涼矢に「そんなにミニーがやりたかったんですか?」と明生が言うと、涼矢は慌てて否定した。「違う違う。3人で行くつもりだったから、心の準備ができてなかっただけ。」  すかさず和樹が「3人が4人になっただけで大袈裟だな。それともエミリだから?」と言った。若干口調に刺があるのは、さっきまでの悪ノリへの仕返しと言ったところだろう。 「だから、巻き込むの悪いかなって思っただけ。エミリが良いって言ってるなら良いけどさ。」  それに答える者はおらず、妙な間が空いた。しんとなった場に明生がアイスティーをストローで吸い上げる音だけが響き、明生は気まずそうに和樹と涼矢を見た。かと思うと、ふいに背筋をピンと伸ばし、目を輝かせた。「あっ、そのエミリさんて、菜月の誕プレ選んでもらったっていう女友達ですか?」  和樹は明生の言葉に、びっくりする。「そうそう、よく覚えてんな。」 「僕、こういうことに関しては記憶力がすごいんです。」と明生は得意気に言った。 「勉強に役立てろよ。……なんてな、明生は結構、がんばってたよな、夏期講習。テスト結果もすげえ上がってたし。」 「都倉先生のおかげですぅ。」明生はご機嫌な様子で言う。それからこんなことも言い出した。「その、エミリさんって、どういう知り合いなんですか? 高校の同級生なのは分かったけど。」  その問いかけには涼矢が答えた。「部活が同じだった。水泳部の。結構良い成績出して、こっちの体育大に入った。」 「こっち?」 「東京の、立川ってところ。近いんだろ?」涼矢は和樹に聞く。だからあの時、エミリは和樹に助けを求めたのだ。近くにいる、唯一の頼れる男友達として。  涼矢はその時のことを思い返すと、少し、苦しくなる。仕方のないことだったし、和樹はベストな行動をしたと思う。誰が何と言おうと、ストーカーに怯える1人のうら若き女性を助けたのだ。――そう、誰が何と言おうと。俺がどう思おうと。  あの時エミリに嫉妬した。自分もまだ訪問していなかった和樹の部屋に異性が寝泊まりすると聞いて、冷静でいられるわけがない。事情など聞きたくなかった。だって、それを聞いたら許すしかないではないか。後から聞けば、エミリはその時、和樹にセックスを迫りさえした。実際は誘惑の意図はなく、ストーカーに怯えるが故の確認行動だったけれど、それでも、紙一重だ。エミリがもっと弱くて依存的な性格だったら、本当に和樹にそうやって縋ったかもしれないし、和樹がもう少しだけずる賢くて、相手の弱みにつけこむ性格だったら、本当にエミリに手を出していたかもしれなかった。 ――でも、エミリは弱くないし、和樹はずる賢くないから、そんな風にはならなかった。 ――そういうエミリだから、信用はしている。あの時も、今も。ずっと前から。だから、キスしてほしいと言われた時、俺はそれを断れなかった。 ――そういう和樹だから、俺は。 「近いってほど近くもないけどな。ここからなら電車で30分くらいかなあ。」和樹はいったん涼矢にそう答えると、明生のほうに向き直る。「そうそう、水泳部の時、涼矢が副部長やってて、エミリは女子部のほうの部長だったんだよ。」 「男子の部長は先生?」 「いや、別の人。俺、人望ないからさ。」  明るい口調で自虐的なことを言う和樹の声で、涼矢はエミリの回想から目の前の現実に引き戻された。「そ、遅刻多いし、練習サボるし、な。」と相槌を打つ。 「バラすなよ。威厳がなくなるだろ。」 「明生くん、都倉先生に威厳なんてあったの?」 「うーん?」明生は首をかしげた。 「ひどいな。」和樹は苦笑した。「でもま、涼矢は確かに真面目だったし、俺よりかはみんなから信頼されてたよな。」 「俺は今も真面目だよ。」 「ミニーコスプレやりたい奴のどこが真面目だよ。」 「コスプレじゃない。カチューシャ。」 「そういうのは女の子がやるから可愛いの。あ、エミリ、ミニーやるのはいいけど、そういう耳とかカチューシャは持ってないって。」  何気なく言った和樹の言葉が、またぞろ涼矢をチクリと刺した。女の子がやるから可愛い。それはそうだろうと思いつつも、自分は逆立ちしたって和樹に「可愛い」と言われる存在でない、そんな現実をつきつけられる気がした。

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