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第741話 オトナトコドモ (14)

 高校の頃、和樹に女装姿を見られたことがある。高校2年の秋、2人のクラスが別々だった年の文化祭でのことだ。涼矢のクラスの出し物は「男女逆転カフェ」、つまり男子はメイド服を、女子はマニッシュな黒のパンツスーツを着て接客をするというカフェで、涼矢はそこで「女装の給仕」を務めたのだ。和樹のクラスは寸劇の「美女と野獣」で、無事に主役の「野獣、実は王子」という役を務め上げた和樹は、休憩がてら涼矢のクラスにお茶を飲みに来た。  おそらく和樹は忘れているけれど、その時のことは涼矢には決して忘れられない。  ウィッグをつけ、化粧を施し、メイド服に身を包む涼矢を「とんだ大女だ」と笑う同級生もいたが、何人かの女子は「化粧映えがする顔立ちで羨ましい」「美人だ」と褒めてくれた。そして、和樹に至っては、その長身を「スーパーモデルみたい」と褒め、更には芝居の相手役の女子生徒は厚化粧で幻滅した、それよりも田崎のほうがきれいだ、とまで言ったのだ。  いたたまれなくて、涼矢は隠れるようにバックヤードに逃げ込んだ。嬉しいのか恥ずかしいのか、自分でも分からなかった。ちょうどシフト交替の時間だったから、そのままトイレに行って着替えた。ウィッグも外して、メイクを落とそうと鏡を見た。  そこに映る自分は和樹の評価とはかけ離れていた。坊主頭によれたメイク。それはひどく滑稽で、この醜悪な姿を和樹に見られたのかと思うと泣きたくなった。いや、本当に泣いた。  あの時、きれいだと褒めてくれたのは、笑い者にされかけてた俺に同情しただけなんだろうな。涼矢はぼんやり考えた。  別に、メイド服やミニーのカチューシャの似合う女の子になりたいわけじゃない。きれいとか可愛いとか言われたいわけでもない。  ただ、和樹を喜ばせる存在になりたかった。特別な努力をせずとも和樹に意識してもらえて、自然と和樹が触れたくなるような、そういうものに。  涼矢はそんな自分の思いは押し殺して、カチューシャの話題を続けた。「既にポチったから大丈夫。2日以内におまえ宛に届く。」  和樹は眉を下げて困り顔だ。「マジで買ったのかよ。つか、俺が買ったように誤解されるじゃないか。」 「誰に誤解されるんだよ。」 「宅配便の人。品名にミニーのカチューシャって書いてあったらどうするんだよ。」 「アダルトグッズじゃあるまいし、バレたって別にいいだろ。」  和樹がピクリと反応して、声を低くした。「涼、こどもの前でそういうこと言うなよ。」  涼矢は横目で明生を見ると、「明生はそこまでガキじゃねえだろ。おまえのそういう気の使い方、逆に明生に対して失礼だよ。」と言った。言われた明生は鼻の穴を膨らませる。涼矢の言葉に「その通り、僕はこどもじゃない!」とでも言いたそうだ。 「俺は生徒を健全な環境で育ててやりたいの。」 「おまえに健全さなんて誰も求めてないよ。」  明生は傍目にも分かるほど激しく、ウンウンと頷いた。それを見た和樹が「明生は俺の味方じゃないのかよぉ。」と明生を睨む。でも、それは単なるポーズだったようで、すぐにまた和らいだ表情になる。「ま、でも、それもそうだな。俺に威厳なんかねえし、明生はそこまでガキじゃないよな。」 「そうですよ。先生は僕をこども扱いしすぎなんです。」 「そっかあ。それは悪かったな。でも、大人とこどもってどこで分けるんだろうな。」和樹はどこか遠くを見つめるような目をした。  その時だ。明生が突然言い出した。「僕はチン毛も生えてます。少し前に友達と見せっこしたら、僕は割と多い方でした。」  和樹も涼矢も、一瞬、明生の言っている内容が理解できずにいた。いや、理解はできたのだが、その内容が内容だったので、額面通りに受け止めていいのか分からなくなったのだ。  2人はちょっと絶句した後、大笑いした。「そうかそうか、それじゃしっかり大人だな。」和樹が言うと、その横で涼矢も笑いすぎて声も出ない様子で何度も頷いた。  ようやく落ち着いて、目尻にたまった笑い涙を指先で拭うと、和樹は明生の家に電話をした。明生はまだ中学生だ。教え子と言えど親に無断で遊びに連れ出すわけにはいかない。それに、教え子だからこそ、個人的な接触はご法度だ。まずはディズニーランドに連れて行く許可を得ること、そして、早坂を初めとした塾関係者に他言しないように口止めすること、その2点を明生の保護者に根回ししておく必要があった。  電話には明生の母親が出た。和樹は母親受けがいい。明生の家もそうだった。しかも和樹は「明生くんの模試の結果がとても良かった、努力の成果が出た」という話題から切り出したから、殊更機嫌よく応対する。その勢いにのり、明生をディズニーランドに連れて行きたい旨を伝えた。 ――それは、任意参加のイベントなんでしょうか? 遠足のような。いただいている夏期講習の予定表には特にそういったことは書いてないみたいなんですけど……。もしかしてプリントか何かあったのかしら。あの子ったら、時々忘れるんですよ、学校のプリントを私に見せるのを。  母親は事態がよく飲み込めない様子だ。

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