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第742話 オトナトコドモ (15)
和樹はさっき考えておいた「理由」を口にした。――夏期講習で特に努力し、その成果を出せた生徒だけに声をかけていて、おおっぴらには告知していないし、プリントも配布していない。参加できない子への配慮として、塾や他の保護者の前ではこの件を話題に出さないで欲しい。
それを聞くと、明生の母親は疑う様子もなく、了承した。昨日明生を経由して手元に届いたはずの模試の結果が、実際良かったおかげだろう。
電話を終えた和樹に向かって、涼矢は「さすが、和樹は口が上手いな。女性に対しては特に。」と言った。
和樹は照れもしなければ、否定もしなかった。このぐらいは朝飯前だという顔で、「教師ってさ、こどもの扱いより、母親の扱いがうまいほうが向いてると思うね。」などと言った。
「じゃあ、おまえ教師に向いてるんじゃないの?」
涼矢の言葉は、ちょっとした冷やかしのつもりだった。教職課程はとっているものの、教師は目指していないと言っていた和樹のことだから、いつものように「どうせ普通の会社員だよ。」とでも答えるのだろうと思っていた。
ところが、和樹は以前とは違うことを言い出した。
「うーん、そうなんだよな。俺、結構本気でそれもいいかなって思ってんの、最近。教えるの、楽しいんだよ。」
和樹の意外な言葉に涼矢が驚いているうちに、明生が先に反応した。「えっ、先生、本物の先生になるの?」
和樹は明生でも涼矢でもなく、中空を眺めながら言った。無意識に顎を撫でている。「俺の兄貴も教師だし、さっき言ってた水泳部の部長やってた奴も教師目指してて、俺にとっては結構身近な職業ではあるんだよね。こういうバイト選んだのも、無意識にそういうの、関係してるんだろうな。一応教職課程はとってるし。」そこでいったん言葉を切ると、顎の手を膝に乗せて、姿勢を正し、明生をまっすぐ見た。「どう思う? 俺、なれるかな?」
明生は身を乗り出さんばかりにして、目をキラキラと輝かせた。「いいと思う。すごくいい。先生、今、大学2年生でしょう、えーと、3年後にデビュー? ってことは、僕が高校生になる時? そしたら先生、高校の先生になってよ。僕、先生がいる高校に入るから。」
「マジで嬉しいね、そんな風に言ってくれると。じゃあ、頑張っちゃおっかな。」和樹も満更でもなさそうだ。
「頑張ってください! 国語の先生ですか?」
「社会科だな。俺、経済学部だから。」
明生は少し思案顔をした。普段は国語を教えている和樹が、社会の先生を目指すということがピンと来ないらしい。だが、その理屈よりも「経済学部」という響きに興味を惹かれたようで、今度は涼矢を見て、言った。「涼矢さんは何学部?」
「法学部。」涼矢が答えた。
「そっか、弁護士志望ですもんね。そういう、進路? っていつ、どうやって決めたんですか?」
「俺は親がそういう関係だったから自動的にそうなった感じだな。あと、稼ぎがいい職業に就きたいんで。」
和樹が涼矢を見た。「親のことは知ってたけど、稼ぎがいいなんて理由は、俺も初耳だな。」
「俺は人類の増殖に貢献できないから、せめて税金をたくさん納めて、社会的弱者の救済ができる人になろうと思って。」淡々と言う涼矢だが、明生が首をかしげているのを見て、言い直した。「つまり、俺はゲイなので、こどもが残せない。だからその代わりにたくさんお金を稼いで社会の役に立ちたい。」
明生はポカンと口を開けて、涼矢を見た。あっけに取られているというよりは、今まで触れたことのない価値観に触れて、それを解析するのに必死という感じだ。
「ホントに、真面目だな。」和樹が笑った。明生は和樹を見る。
「知らなかったか?」今度は涼矢を。
「……知ってたけど。」
和樹と涼矢が言葉を交わすたびに、まるでテニスや卓球の試合の観客のように、視線を交互に送る明生。その表情はだんだんと緩くなり、ニコニコしはじめた。
「どうしたよ、明生?」そんな明生に気付いた涼矢が言う。
「ううん。なんか、2人、楽しそうだなあって思って。」
「楽しいよ? 明生もいるしさ。」和樹が笑った。
「ディズニー、楽しみだね。」と涼矢が言った。
最後に、当日の待ち合わせのことなどを相談して、解散となった。店を出てから、涼矢が「あ、そうだ。」とバッグから袋を出した。「どういうの好きか分からなかったから、普通のお菓子だけど。」地元の洋菓子店で売られている、他愛もない焼き菓子だ。
「え、いいんですか。」
「うん。」
「おー、これ、懐かしい。」横から覗き込んだ和樹が言う。
「先生も知ってる?」
「知ってる知ってる。高校の近くの、お菓子屋じゃなくて、パン屋の。」
「そう、あそこ、代替わりして、今は息子がやってるよ。」
「へえ、じゃあ、あのおばあちゃんじゃないんだ。」
「うん、でも、店の奥にいる。たまに店番はしてる。」
「そっか、良かった、まさか死んだのかと。」
「縁起でもない。」
明生は菓子の袋を握りしめたまま、2人の会話を聞いていた。
明生をほったらかしにしていたことに気付いた和樹が、「ごめんごめん、つい懐かしくて。」とバツが悪そうに言う。
明生は「同級生っていいもんですねぇ。」と、しみじみ言った。それがやけに老成した物言いに聞こえて、和樹たちは笑った。
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