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第749話 Endless Summer (7)

「ま、あいつはちょっとした憧れのお兄ちゃん的に見てるだけなんだろうしな。」  和樹のその言葉は、真面目に考え込む涼矢を気楽にさせてやろうという意図で、口にしたものだった。けれど涼矢の顔はより一層曇る。  和樹が涼矢に向かって「明生は」と言う時、そこには必ず「涼矢と同じように」あるいは「涼矢とは違って」という文脈が隠されている。「明生の和樹への好意はちょっとした憧れ」と語る時、そこには「涼矢の3年間の片想いとは違って」というニュアンスが含まれている。  もちろんその通りだろう、と涼矢も思う。 ――一緒にされたんじゃ敵わない。憧れなんて甘ったるい感情じゃなかった。あの頃の俺は、和樹の前で素直に笑うことすらできなかった。感情を露わにすれば、うっかり本心がバレてしまいそうで。 ――好きになればなるほど、苦しかった。あの頃は、もし和樹から「一緒に遊びに行こうよ」と誘われても、今日の明生みたいに屈託なく喜べなかったはずだ。 「涼矢?」和樹が訝しげに涼矢を見る。  涼矢はハッと顔を上げた。「ん? ああ、いや、俺、年下の相手に慣れてないから、大丈夫かなって。」 「なーに言ってんの。普通にしゃべってたじゃない? それに、俺に内緒でしょっちゅう連絡取り合ってたんだろ?」必要以上に重くならないように留意しながら、和樹は言う。 「そんなの短時間だったし。だいたい、部活の時だって後輩指導すんのが一番嫌だった。」 「そうなんだ?」 「だから、そのへんは奏多に任せてた。」 「あいつは偉そうに指示出すのは得意だからな。」和樹はそう言うと唐突に笑い出した。今度は涼矢が訝しげな目つきで和樹を見る。「アレ思い出した。おまえの、奏多の物真似。」 「なんだ。」涼矢はホッとして笑い、コホンとひとつ空咳をした。「ハイは1回、はっきりとぉ。」 「やめろって。」和樹はより一層笑い、落ち着きを取り戻すためにコップの水を飲んだ。  涼矢は食事を再開した。二口三口食べ進めたところで、また手を止め、ポツリと言った。「俺もあいつに任せきりだったな。俺ばっかりめんどくさいことやらされてると思ってたけど、後輩の面倒とか、移動の時の仕切りとか、そういうのはいつも奏多がやってた。少しは手伝えとも言われなかった。」 「適材適所ってやつだよ。だから俺、言ったろ? おまえと奏多なら水泳部も安泰だと思ったって。奏多もそう思ったからおまえに副を頼んだんだろ。」 「でも、もう奏多には嫌われたんじゃないかな、俺。」 「なんで?」 「あんな態度したから。」 「今更だよ。」 「だよね。」 「あ、手遅れって意味じゃないよ。おまえがそういう奴だってこと、奏多は今更気にしないって意味。」 「そういう奴?」 「変に感情的にならないで、冷静に対応する奴。」 「そんなきれいな気持ちじゃなかった。」 「でも、一番奏多の役に立った。」 「中絶の金を出してやることが、か?」  和樹は箸を置いた。「そういう言い方するなよ。」 「……ごめん。」 「そういうの、おまえの悪いくせだ。わざと悪い風に言って、ほんとは自分が一番傷ついてる。奏多の分まで傷つかなくていいのに。」 「そんなつもりない。」 「つもりはなくても、そうなってる。」 ――あの時、もし涼矢が優しい言葉をかけていたら、奏多は自分を責めるしかなかっただろう。でも、涼矢は辛辣なことを言い放ち、金で奏多の頬面をはたくようなことをした。だからこそ、奏多は涼矢を恨むことができる。「友達甲斐のない奴だ」「ちょっとばかり金持ってるからって偉そうに」「俺とカオリがどれだけ辛いか知らないくせに」……。そうやって涼矢を恨んでいる間は、少しは罪悪感が紛れるだろう。1人で苦しまずに済んだだろう。こんな風に一歩引いて考えれば、俺なんかより涼矢のほうがずっと優しい。 ――奏多はきっと、俺より先に、そういう涼矢に気付いてた。だから信頼もした。 「奏多の言ってた、これからも友達でいたいってのは、本心だと思うよ。」和樹は言った。 「そうかな。」 「俺、思うんだけど。……って、メシ食ってからにしよう。冷めるし。」  食後のコーヒーを涼矢が淹れた。和樹はぼんやりとベッドにもたれて座っている。部屋は静かだ。隣人が帰宅してきた気配がする。以前は日付が変わる頃、時には明け方にしか帰ってこなかった隣人も、最近はそこまで遅くはない。和樹は転職でもしたのだろうと推測していた。たまに顔を合わせた時の表情も、以前ほど疲れ果ててもいないし、血色も良く見えるので、勝手にホッとしていた。 「ミヨカワケージュって、すげえ漢字だった。」 「はい?」涼矢はきょとんとする。 「隣のかぼすの人。ミヨカワは漢数字の三に、代々(だいだい)()、三本川の川。って、それはまあ普通だけど、ケージュのほうが、えっと、こういう。」和樹は空中に漢字を書いて見せる。 「画数が多いことしか分かんないよ。」 「だから、こういう。」和樹はスマホで漢字変換する。 「教えてもらったの?」涼矢は、漢字よりもそれを知った経緯のほうに関心がある様子だ。

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