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第750話 Endless Summer (8)
「いや、電気の検針票が間違えてうちのポストに入ってて、その宛名でね。」
「てことは、和樹もお隣さんもネット明細にしてないんだ?」
「何それ。」
「そういう明細とか請求書とか、大概ネットで確認できると思うけど。紙の請求書もらうと発行手数料かかったりするし、節約するなら、そういうとこ気を付けたほうがいいんじゃないの。」
「へえ、そんなことまでよく知ってるな。金持ちほど細かい金にうるさいってのは、本当だ。」
「なんで微妙に馬鹿にされなきゃならないんだよ。」
「してないよ、さっすが涼矢くーんって尊敬してる。」
「おまえなあ。」涼矢は苦笑しながら和樹の頬をつついた。
「でさ、三代川さん、あ、隣の人のことな、電気の使用量見ちゃったんだけど、うちの倍ぐらいかかっててびっくりしたよ。何にそんなに使うんだろう。新聞も取ってるし、案外、金使い荒いタイプ?」
「社会人なら新聞ぐらい読むだろ。」
「うちのアパートで新聞取ってるの、たぶん三代川さんだけだよ? ほかはみんな学生なのかなあ。」
「おまえが知らないのに、俺に分かるわけない。」
「それにしても、1年以上住んでて、やっと隣の名前が分かっただけなんだよな。たまにトラックが来て騒がしいこともあるし、顔も見ないまま引っ越してる人もいるはず。そういうとこ、やっぱ東京だよな。」
「俺はそういうほうがいいけど。」
「近所づきあいがないところ?」
「うん。」
「ま、気楽だよね。何かと。余計な詮索されないし。」和樹は一瞬目を伏せた。言いたいことはある。でも、「今」言っていいものかと考える。そして、意を決して――でも、できる限り何事でもないかのように――言った。「だったら、東京で決まりだな? 2人で住むところ。」
「大学を卒業したらの話?」
「そう。」和樹は笑みを浮かべ、テーブルの上に出ていた涼矢の手に、自分の手を重ねた。
涼矢はその手をほどきもしなければ、握り返しもしない。「どこでもいい。和樹といられるなら。……でも、前にも言ったけど、俺、いつ司法試験通るか分からないし。そういうのは俺が自立できるようになってから、きちんと。」
涼矢の言葉を和樹が遮った。「やだよ。」
「え。」
「4年間遠距離で、その後もまだ離れ離れとか。勉強の邪魔はしないから。」
涼矢は照れくさそうに、空いている左手で鼻の頭を掻くような仕草をした。「それは、無理だよ。」
「何が無理なんだよ。」
「和樹がいるだけで邪魔だもん。」
「なんだと。」
「毎日おまえと一緒にいて、気にならないわけないし、いたら絶対俺、我慢できない。」和樹は呆気に取られて口をぽかんと開けている。涼矢は続けた。「勉強どころじゃない。」
「まだそんなこと言ってるの?」
涼矢は和樹が重ねてきた手の下から右手を抜いて、髪をかきあげた。「まだって言ったって、これから先の話だろ?」
「でも、大学出たら東京来るって。なんとかスクールに通うって言ってたじゃないかよ。」
「言ったよ。和樹が東京で就職するなら、俺も東京のロースクール通う。でも、試験通るまでは一緒に住まないって、それも言ったよな? 理由も含めて。」
「この期に及んで、まだ気が変わってないのかって言ってるんだよ。」
「どうして変える必要あるわけ? 前にその話した時と、状況は変わってないだろ?」
「もう、頑固だな。」和樹はもう一度涼矢に手を伸ばした。今度はただ重ねるだけではなく、意識して握った。「そう言うなら、さっさと合格して、さっさと稼いでくれよ。4年も遠距離我慢するだけで、キツイんだから。」
「うん、キツイな。」
「お、これは素直。」
ようやく涼矢のほうからも、和樹の手を握り返した。「もうちょっと慣れると思ってたんだ。遠距離にも。でも。」
「慣れないな。」
「うん。」
「て言うか、逆に、どんどんキツくなる。」
最初は4ヶ月会えなかったんだっけ。和樹はこの部屋に越してきた頃の回想に耽る。新しい環境にもやっと慣れたと思った頃にエミリが転がり込んできた。後から聞けば、その頃に涼矢が初訪問するつもりだったという。そのチャンスを逃して、会えたのは結局8月だ。それでもその時は耐えられた。その次は3ヵ月近く後。台風の中、ずぶ濡れになって来た涼矢。それから年末年始の帰省にゴールデンウィーク。1ヶ月前にもポン太にかこつけて帰った。――そうか、1ヶ月しか経っていないんだ。それなのに久しぶりに会えた気がした。とにかく、今となっては4ヶ月も会えないなんて無理だと思ってしまう。
「おまえ、そばにいないとダメなタイプ?」涼矢は冗談めかした口調で和樹に言った。
「そんなことないと思ってたんだけどね。」
「思ってたけど、違った?」
「久家先生も……あと、響子ちゃんもかな、好きな人とはいつも一緒にいられないとダメなんだって言ってた。俺らは遠距離なのにすごいねって言われて、そうだろ、すごいだろ、なんていい気になってた。けど。」
「けど?」
そばにいてほしいと言わせてみたい涼矢と、言いたくない和樹の攻防が続く。
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