752 / 1020

第752話 Endless Summer (10)

 和樹はくるりとふりむいて、涼矢の膝の間から顔を出すような姿勢になった。「それ、俺と暮らす時の話?」 「お、おう。」 「なんだよ、おまえだって俺と暮らす気、満々じゃん。」 「そりゃそうだよ、ただ、俺が。」 「はいはい、弁護士になれたらね。」 「そ。」 「在学中に受かる人もいるんだろ?」 「いるよ、けど、めちゃくちゃレアケースだよ。」 「おまえもレアケースになれ。」 「それ、おまえに、在学中に起業して、そのへんのリーマンより稼いでみせろって言ってるようなもんだぞ。」 「あー、無理だ。」 「だろ?」 「俺は地道にコツコツやりますよ。」 「俺もだよ。」和樹の髪をいじっていた手が、ふと、止まる。和樹が不思議そうに見上げると、涼矢は前屈するようして和樹の額にキスをした。 「なんだよ。」思いのほか優しいキスに、照れくさそうに和樹が言う。 「和樹が良い子だから、ご褒美のチュー。」 「は、何それ。」 「地道にコツコツ頑張るのは偉い。」 「じゃ、おまえにもご褒美やんなきゃな。」和樹は下から両手を伸ばし、涼矢の頭を引き寄せ、今度は唇にキスをした。「おまえは俺よりずっと前から、ずーっとコツコツ頑張ってたから、超ご褒美、な。」 「超って言うからには、もっとすごいやつじゃないと。」 「こら、いい気になるんじゃねえよ。」そう言いつつも和樹は立ち上がり、涼矢を巻き込むようにしてベッドに倒れこんだ。ベッドが激しく軋むが、2人とも気にしない。「で、どんぐらいすごいのすりゃ、気が済むの?」 「最高にすごいのやってほしいけど、もう何も出ないんだろ?」2人して寝転がって、至近距離で顔を寄せ合いながら、涼矢が言う。 「さすがに今日は勘弁。3ラウンド連続やったばっかだぞ?」 「冗談だよ。」 「ま、でも、このぐらいなら。」和樹は自分のほうが少し移動して、胸元に涼矢の頭が来るようにすると、それを抱きかかえて、体を密着させた。  ハグ。哲とのこと以来、その言葉を口にするのを躊躇うようになった2人だった。でも、言葉にしないだけで、ハグしないわけではない。そして、こんな風にベッドでぎゅっと抱きしめるたびに涼矢は思うのだ。哲としたあれはハグなんかじゃない。こんな風に体温を感じることもなく、ただ隣り合って寝ただけで、体が触れていた箇所なんてほんの僅かで。そんな風に言い訳がましいことを。和樹は和樹で、その出来事を涼矢の記憶から追い出そうとするかのように、以前より強く抱きしめるようになった。 「やべ、眠くなっちゃう。」と涼矢が言った。時刻はまだ21時台だ。就寝するには早過ぎる。和樹の負担になりたくなくて言っていないけれど、今日ここに来るために、そして、和樹と一緒の時間をできるだけ長く心置きなく過ごせるように、前倒しで課題を片付けてきており、そのせいでの睡眠不足が続いていた。  そんな具体的な事情は知らないまでも、涼矢が夜遅くまで勉強しているのは察している和樹だ。「いいよ、来るなり明生に会いに行ったりしたし、疲れたんだろ。寝たら。」 「歯磨きしてない。」 「明日の朝、磨けば大丈夫だよ。」 「……やっぱ気になる。」涼矢はせっかくの和樹の腕の中から抜け出し、洗面所に向かった。和樹もそれについていき、買ってきたばかりの2本の歯ブラシをパッケージから取り出すと、スケルトンのブルーのほうを涼矢に渡す。それからわざわざ狭い洗面所でくっつくようにして歯を磨き始めた。 「ほうひへばひゃ。」 「何言ってるのか全然分かんね。」涼矢は一足早く仕上げのすすぎまで終えたようだ。  和樹はいったん歯磨きに集中した後、同様に口をすすぐ。「そう言えば、歯石とかちゃんと取ってるんだっけ。」 「うん。歯医者は定期的に通ってる。2ヶ月にいっぺんぐらい。」 「歯医者嫌いなんだよな。」 「俺もだよ。つか、好きな奴はいないだろ。でも俺、エナメル質が弱いみたいで、虫歯になりやすいから。」 「それで例の歯科助手だか衛生士だかに誘われたんだっけな。」 「何の話。」 「前に言ってたじゃない? 胸押し付けられて、結構しつこく言い寄られたって。」 「言ったっけ、そんなことまで。」 「言った。」 「辞めたけどね、その人。」言いながら、涼矢は和樹の口元に残っていた歯磨き粉を指で拭ってやる。朝剃っても夜にはまた伸びてくると言っていた和樹の髭だが、今はザラついていない。シャワーの時に剃ったのかもしれない、と涼矢は思う。 「そんなことまで知ってるんだ?」 「いつの間にかお腹大きくなって、今日が最後の勤務なんだって言ってたから。」 「はあ、なんだそれ。」 「いろんな男に声かけてたってことだろうね。」 「やめといて正解だな。」和樹は洗面所を出て、ベッドに戻る。涼矢も続いた。2人して今度は寝そべったものの、和樹は仰向けになり、涼矢は枕に頬杖をつくようにして和樹側を向いて横たわる。さながら幼児に添い寝して読み聞かせでもする母親のようだ。 「やめておくって……。候補にもならないよ。女に興味ないのに。」だが、話す内容は母親には程遠い。

ともだちにシェアしよう!