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第755話 夏の終わり (2)

「してないよ。カレーぐらいは作れるし。まあ、今は涼矢が作ってくれてるけど。」 「えっ、そうなの?」 「料理上手だから、こいつ。」 「うっそぉ、知らなかった。」エミリは涼矢のほうに顔を向けた。「涼矢も実際会うのは久しぶりだよね。ほら、あたし、お正月も今年帰省してないから。」 「海外行ってたんだろ?」涼矢が言う。 「そうなのよ。今年がラストチャンスかなって、海外まで行ってトレーニングしてさあ。でもダメだったわ。強化選手、なれなかった。」  涼矢がねぎらいの言葉を考え込んでいる間に、和樹が「いいとこまで行ったのにな。」と言った。 「限界なのはわかってたからね。まあ、いいわ、次の目標、見つけたし。」 「さすが。で、何? 次の目標って。」これは涼矢が尋ねた。 「とか言って、実はまだ具体的には全然なんだけど。怪我した選手のリハビリとか、障害者スポーツとか、なんか、そういう系の勉強しようと思ってんの。」 「え、なんでまた?」今度は和樹が。 「ジャーン。」エミリはスマホの画面を、明生を含めた3人に見せた。「カ・レ・シ。」  画面には車椅子に乗った若い男が映っていた。そして、その人を背後から抱きしめるようにして笑っているエミリ。車椅子の彼は片脚の膝から下が義足のようだ。義足でないほうの足や上半身にはがっしりと太い筋肉がついている。首も太い。座っていても大柄なのが分かる。立ち上がればさぞかし恵まれた体格だろう。  バスケチームのユニフォームを着ているから、バスケ選手であることはすぐに分かった。それを念押しするようにエミリが言った。「車椅子バスケの選手なの。うちの大学、地域のこども向けにスポーツイベントやってて、参加した時に知り合った人。」 「へえ、カッコ良い人だな。」ルックスのことではない。自信にみなぎったオーラが見える気がして、涼矢は言った。 「でしょ?」 「その目標は、彼のため?」 「そうね、それが一番。でも、彼と出会う前から勉強は始めてたのよ。もともと選手で一生食べていけるとは思ってなかったから。それに、彼、知り合った時には、車椅子じゃなかったの。つきあって2カ月後の事故でそうなった。2ヶ月で3回しかデートしてなかったんだけど、その時に思っちゃったのよ、ああ、あたしは彼と出会うために、そういう勉強してたのかって。」 「運命って思った?」 「そうそう。」エミリは快活に笑った。涼矢はその笑顔に心から安堵した。かつて自分に思いを寄せてくれていたエミリ。ストーカーに狙われて怖い思いもしただろう。だからこそ、良い恋愛をしてほしいと願っていた。 「治るの?」と明生が言った。明生はこどもらしい純粋さで、車椅子の彼を心配しているようだ。 「うーん、治らないわね。片足の膝から下、切断してるから。でも、将来的には義足を使っての自力歩行は行ける可能性はあるの。今はそれが目標。」 「え……。」明生は困惑の表情を浮かべたけれど、エミリから視線を外すことはしない。 「大丈夫よ。そんな顔しないで。びっくりしちゃった?」エミリが明生に笑いかける。  明生もすぐに笑顔になって言う。「すごいなって思って。その人もエミリさんも。」 「やだ、エミリでいいってば。」エミリは明生の肩をポンと軽く叩いた。「それにしても明生、あんたおもしろい子ね。今、変なこと聞いてごめんって言うと思ったのに、言わなかった。」  明生の答えがどんなものかと和樹も涼矢も注目する中、明生は少し考えた後で話し始めた。「僕も、そういうことあるから。あの、僕、双子の兄がいて、でも赤ちゃんの時に死んじゃってて、その話すると、相手の人が、ごめんって言うんです。でも僕は、ごめんって言われたくなくて。」  双子の兄がいた。その話なら涼矢も聞いた。その時、自分は「ごめん」と言ってしまわなかったか?と思い返す。確か明生は明るい口調でそのことを教えてくれて、その"お兄ちゃん"の存在を自慢しているようですらあったから、「ごめん」なんてことは思いもしてなくて、「いいね」と答えたはずだ。その答えが明生にとっての正解だったならよかった、と涼矢は思う。 「あー、分かる、分かりすぎるわ、それ。相手の人の優しさだってのは分かるけど、でも、ちょっとあるよね。ひっかかりが。」  エミリもそんな明生の言葉に共感しているのを見て、ますますホッとした。 「そうなんです!」  明生は同じ気持ちの仲間を見つけたというように、ニコニコしながら頷いた。  エミリは和樹と涼矢の顔をそれぞれ見ながら、「あんたたちの息子、良い子に育ってるじゃないの。」などと言い出す。 ――息子。なるほど、弟分を通り越して息子か。  涼矢は冗談だと知りつつ、言いえて妙だと思う。  明生は元は和樹の教え子で、和樹に憧れていて、本当なら俺のことはライバル視したいところなんだろうけど、和樹の相手だからこそ大事に思ってくれている。それは「大きくなったらママと結婚する!」なんて思ってる小さな子、そんな風に母親を恋慕ってやまず、父親に対しては嫉妬と尊敬の混ざった気持ちを抱く、マザコン息子に近い感情なのかもしれない。

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