759 / 1020
第759話 夏の終わり (6)
――だから何だって言うんだ。
和樹は自分に言い聞かせた。そんなものは求めてない。自分と涼矢の気持ちが通じ合っていればそれでいい話だ。その上、兄貴だとか佐江子さんだとかエミリだとか柳瀬だとか、俺たちのことを知って尚、受け入れてくれる人もいて。それが充分過ぎるほど恵まれてることぐらい、俺にだって分かる。
――でも、そんなの、当たり前のことじゃないか。
俺たちのどちらかが女だったら、それを「恵まれてる」なんて思わなかった。ただの、普通のカップル。
『和樹の好きな"普通"だね』
和樹の脳裏に涼矢の声が蘇る。付き合い始めた頃、よくそんな風にからかわれた。そう言われても仕方ないぐらい、しょっちゅう「普通」と口にしていた。
――「普通」ってなんだよ。
「和樹?」急に押し黙った和樹に、涼矢が声をかける。「どうかした?」
「あ、いや。あんまり混んでるから、なんか疲れてボーッとしちゃった。」
「確かに、すげえ人だな。飲み物、まだある?」
「ん、さっきのペットボトルの、残ってる。」
「飲んでおいたほうがいいよ。暑いし。」
「ああ。」和樹はバッグからペットボトルを出し、飲んだ。「おまえも渋谷で具合悪くなったことあったな。今日は平気?」
「平気。これ、2本目。だから、足りなかったら飲んでいいよ。」
「おう、サンキュ。今んとこいいや。」
「明生くんとはどこ行ったの。」
「スプラッシュマウンテン。それに並ぶのに時間かかったから、後はあの、3Dメガネの。あれぐらいだな。」
「ああ、魔法使いの弟子の。」
「そう、明生の帽子見て、キャストが話してかけてた。嬉しそうだったよ。」
「都倉先生と一緒ならなんでも嬉しいし楽しいんじゃないの。」
「そうかもねえ。」和樹はにやりとした。
「俺だって楽しいからな?」
「は?」
「おまえと一緒なら。」
和樹は危うく飲みかけのウーロン茶を吹き出すところだった。「明生と張り合ってんのかよ。」
「だって、和樹のこと好きなんだろ、あの子。」
「それ言うなら、俺はエミリと張り合うぞ。」
「エミリ? なんでエミリ出てくる?」
「そりゃそうだろ。だってエミリはおまえのこと好きだったんだし、今だって二人きりになるのを警戒するぐらいなんだからさ、明生より危険度は高いだろ。」和樹は続けて「普通に考えたらそうなる」と言いそうになった。ついさっき、自分で「普通」という言葉を否定したばかりだというのに。
「警戒してるのは俺を意識してるからじゃなくて、おまえに気を使ってるんだってば。」
「でも、3年もおまえのこと好きで。」
和樹の声を遮るように涼矢が言う。「俺だってそうだ。」
「……もういいや、誰と誰が張り合ってんだか、分かんなくなってきたわ。」和樹が苦笑する。「な、涼矢。さっき言ってたピーターパンのやつ、それ乗りに行こう。」
「いいけど。」
和樹は小声で言った。「あれってさ、二人乗りだろ。」
「あ……うん。」
二人乗りで全体的に薄暗い。だからエミリは遠慮したのだろうが、同じ理由で、和樹はそこを目指す。
エミリと寄ろうとした時よりも行列は長くなってしまっていて、数十分並ぶことにはなったが、二人とも気が変わることはなかった。ようやく順番が来て、乗り込んだ。乗り込んで内部に入ってすぐ、和樹が手を伸ばしてきて、繋いだ。
「やっと二人っきりって感じ。」と和樹が言う。
「うん。」
「そのうち、本当に二人で来ようぜ。」
「……うん。」涼矢はその手を強く握り返す。
「あー、くそ。」和樹が小声でブツブツ言う。
「なに?」
「キスしたらバレるかな。」
「バレると思う。」
「なんで? 前の人、見えないよ?」
「こういうとこってモニターがついてると思う。ほかの客には見えなくても、誰かは見てるかも。」
「え、そうなの? のぞかれてるの?」
「人聞きの悪い。安全確認のためだろうが。……まあ、とは言っても。」
「ん?」
何か言いかけた涼矢のほうを向いた和樹に、涼矢はすかさずキスをする。
「このぐらいは大目に見てもらえるんじゃない?」
「ずりぃ。」言葉ではそう言いつつ、和樹は笑う。「Pランドでもやられたよなあ、それ。」
「ああ、お化け屋敷ね。」
古臭いお化け屋敷。その時も監視カメラがついているのではないかと言いながらも、闇に乗じて和樹の手を引きキスをした涼矢。
「そういうことはしっかり覚えてるよなあ。」和樹は涼矢に腕を絡め、しなだれかかる。だが、いくらもしないうちに出口も近づいて、身を離す。
ひとつ前のカップルが手をつないで去っていくのが見えた。二人が着ているボーダーシャツもお揃いだ。和樹はそれを羨ましい、と思い、そう思った自分に驚いた。ペアルックなんかダサい。今までの彼女とだって、そんなことをしようと思ったことはない。なのに、今は妙に羨ましい。
そう思いながら乗り物から降りる。続いて降りてくる涼矢に手を伸ばした。涼矢は一瞬ためらった後、その手を支えにして降りた。和樹は手を離すことなく、そのまま歩き出した。
「いいの?」
「何が。」
「手。つないだまんまだけど。」
「知ってるよ。エミリたちの前ではしない。」
「……そろそろ合流する?」
「もうひとつぐらい行けんだろ。」
ともだちにシェアしよう!