763 / 1020

第763話 夏の終わり (10)

 それから水回り。これについては和樹はほとんど何も対処していないように思われた。今までは和樹にそれとなく注意するだけで、自分は見える範囲のところだけを磨いていたが、結局改善された様子はない。もうこれ以上は俺のほうが我慢できないと観念して、今回、ついにキッチンや洗面台、バスルームの排水口を専用の洗剤で掃除した。洗濯槽もだ。これは特にひどいありさまだった。そうしてトイレだ。便器そのものはさすがに和樹も掃除しているらしく、まあまあきれいにしてあったが、床やストック品を置いている棚は、入居以来何もしていないに違いなかった。埃や髪の毛が隅にたまっている。  だから涼矢はトイレ用の拭き掃除ペーパーを買ってきて、あちらこちらを徹底的に掃除した。  その時、便座の陰に発見したのだ。  和樹の部屋にあってはならないそれを。 「ああ、あれか。」それを思い浮かべながら涼矢は言う。「女連れ込みやがってと思ってたら、そっか、エミリか。だったらあれ、あのまま捨てたほうがいいよ。」 「は? なんで?」 「蓋を開けると虫のおもちゃが飛び出す仕掛けを仕込んであるから。接着剤も使ってて元には戻せないし。」  涼矢は事実よりも大げさに言った。そんな代物にベタベタと触って細工などしたくはない。実際は接着剤で蓋を開けられないようにしただけだし、それだって弱い接着剤で一部を仮止めしたに過ぎず、少し力を入れれば女性でも開けられるはずだった。和樹がどこぞの女を連れ込んだ、とも思っていない。ただ、何らかの事情で和樹の部屋に来た女性が、勝手にこっそり置いた可能性はあると思った。そして、万一、「その女」が和樹の部屋を再訪した時のために、威嚇の意味でやったまでのことだ。言われてみれば、そんな見知らぬ誰かよりも、エミリの可能性が高かったのだが、その時はその誰かに「女」を全面に出された気がして、頭に血が上っていた。  そして今は、そんな風に嫉妬していたことが、和樹をはじめとしたこの場のメンバーにバレるのが恥ずかしくて、必要以上に話を盛った。嫉妬深い奴と思われるより、変な奴と思われるほうがまだマシな気がしたのだ。本当はエミリにさえ、明生にさえ嫉妬するくせに。 「涼矢くん? 人んちのトイレで何やってんの?」  バツの悪い思いをしている涼矢に、和樹は呆れた口調で言った。だが、笑っている。涼矢はホッとする。 「だって、あんなの一人暮らしの男のトイレにあったら、よその女からの宣戦布告だと思うだろ? だから受けて立ってみた。」  更にそう畳みかければ、もう誰も涼矢が「本気でしたこと」だとは思わない。現にエミリも「和樹、全然信用されてないし。」などと笑って言う。 「ひっでえ。」和樹が言うと、その次の瞬間には、エミリが話題を変えてくれた。 「ねえ、そろそろパレードの場所取りしようよ。」 「パレート中のほうがアトラクション空いてるけど?」和樹もそちらの話題に移る。涼矢は胸を撫で下ろした。 「あたしはパレードが一番好きなんだもん。」 「ふうん。どの辺で見たいとかあるの?」 「僕はパレードよりアトラクがいい。」  明生まで加わって盛り上がる。涼矢は誰にも知られていないところでの、エミリと明生への申し訳なさから、「じゃあ、明生は俺と何か乗りに行く?」と申し出た。そうすれば二人の希望通り、エミリはパレードが見られるし、明生はアトラクションに行ける。  和樹は涼矢の胸の裡を知ってか知らずか、おそらくは知らないのだが、そんな涼矢に同意した。「そうだな、そうしろよ。パレードまでまだ1時間あるからさ、タイミングが合えばパレードも見に来ればいいんじゃない? 場所とったら、連絡するから。」 「え、だったらアトラクション優先でいいよ。パレードは、立ち見でちょっと見えればいいから。」エミリはエミリで、自己主張しつつも最後は他人を優先するところは昔から変わらない。 「いいよ、パレード見なよ。俺は明生と2人で、楽しんで来るから。」  そう言って涼矢が明生の肩を抱くと、和樹がすごい勢いでそこに向かって行き、その手をはねのけた。「セクハラ。」不機嫌そうに言う。  涼矢明生に「嫌だった?」と尋ねる。  明生は首を横に振り「別に。」と答えた。 「本件はセクハラにはあたりません。」涼矢は和樹に向かって真顔で言った。 「嫌だったらセクハラ?」明生は涼矢に聞き返す。 「そう。された側が性的に不愉快と感じたら。」 「でも、友達と肩組んだりとか、普通にするじゃん。」 「そこがセクハラかどうかの判断の難しいところで。」 「おい、話をすりかえるな。」と和樹が割って入った。 「涼矢ってそんなしちめんどくさい性格だったっけ?」エミリも参加してきた。 「そうなんだよ、こいつ、面倒くせえんだよ。高校の時は、あんましゃべらなかったから、よくわかんなかったけど。」  こんな和樹のボヤキを、だが、涼矢はどこか嬉しく感じてしまう。「俺だけが知ってる涼矢」と主張されているようで。

ともだちにシェアしよう!