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第770話 夏の終わり (17)

 エミリの言う通りだが、涼矢の前でそれを肯定するのはいささか気が引ける和樹だった。と言って否定するのも空々しい。短く「ああ。」とだけ答えた。 「部活内でも、ライバルで、特別に仲が良かったとも思えないし。」 「そう。」 「女が好きだったわけでしょ?」 「ご存知の通り。」 「それがなんで告られて、1回デートしただけでそうも変わるのかって。その秘訣が知りたいんだってば、あたしの今後のためにも。」 「秘訣も何も……。」和樹は涼矢をチラッと見ると咳払いをひとつし、うつむいた。涼矢はもちろんだが、エミリとも明生とも視線を合わせたくない気分だ。「なんか……楽しかったんだよ、やたらと。デートが。」 「友達と遊ぶのとは違ったの?」 「うーん。エミリが今言ったみたいに、俺らライバルで、仲悪くはなかったけど、すごく仲良しでもなかった。何人かで遊ぶことはあっても、2人だけで遊んだこともなかった。」和樹は過去の自分と涼矢の道のりを思い返す。さっき涼矢もそうしたように。「2人だけで会うのって、そのデートが初めてだった。で、こいつすげえ無愛想だったじゃない? 高校の時。でも、デートの時は、結構よく笑うし、しゃべるし、あとすげえ食うし。あれ、こんな奴だったっけ?って思って。そしたら、なんか、もっと違う顔が見たくなったっつうか。じゃ、つきあってみたらいいじゃないかと。」  和樹の思い出語りが続くが、涼矢はもう何も言わない。涼矢自身もきちんと聞いたことがない、あの時の和樹の「心情」。涼矢は黙々と骨付きチキンを頬張りながらも、耳だけは和樹の言葉を一言一句漏らすまいとそばだてていた。 「キスとか抵抗なかったの?」エミリがいきなり言った。和樹は思わず顔を上げ、涼矢はチキンを食べるのを一時停止した。そして、明生は飲んでいたコーラを吹き出した。それをエミリが紙ナプキンで拭きながら言う。「ごめんごめん、明生がいるのに、刺激的なこと言っちゃった。」 「なんで女ってそういうこと聞きたがるわけ? 俺は聞かないのにさ、彼氏と何やってるかとか。」和樹はムッとした表情を隠さずにエミリを非難した。 「え、別にあたしは聞かれたら答えるよ。実際、結構聞かれるよ、彼氏が車椅子だから、そういうのどうしてんの、とか。知りたければ言うけど。あ、明生の前だから多少オブラートに包みつつ、ね。」 「聞かねえよ。」 「でも、あたしは聞くの。気になるから。だって、最初のキスって緊張するじゃない? 変な話、最初のHより緊張しない?」 「どこにオブラート?」和樹が呆れた声で言う。言いながら、大学に入ってすぐ、和樹の部屋に転がり込んできたエミリは自分はまだ処女だと言っていたことを思い出す。あれから1年以上が経ち、最初のキスと最初のセックスの緊張感を比較できるようになっているわけだ。そんな妙なポイントで時間の経過を感じ入る。 「あ、ダメ? この程度もアウト?」エミリは明生を見た。  明生は目を白黒させながら「だ、大丈夫です。」と言った。 「大丈夫よね? 明生もそのうち自分の身に降りかかってくることなんだから、聞いておいた方がいいよ、きっと。」 「そういう目的で知るんだったら、俺らじゃ特殊ケースすぎんだろ。」 「だって明生だって男が好きなんでしょ? 合ってるじゃない。」 「まだ分かんないだろ。」和樹は強く否定した。それは明生が同性愛者であってほしくないがための否定ではない。そう「決めつける」ことへの抵抗だ。自分だって、異性愛者として生きてきた。今でも男の裸体よりは女性の裸体のほうに興奮する。例外は涼矢だけだ。それを根拠にゲイとかバイとか定義されてもピンと来ない。他人に定義されなくちゃならない理屈も分からない。「これから女の子好きになるかもしれないし、次も男かもしれないけど、そんなのはどっちだっていいけど、それがどうでも、別に俺らの話を参考にしなくても。」明生は明生らしくいられればそれが一番だ。  そう思った矢先に、当の明生が「先生たちのなれそめ、聞きたいです。」と言い出した。 「明生。」和樹は庇ったつもりの明生に裏切られた気になる。と同時に、明生が「ゲイだとかバイだとか」気にしてないからこそ、こんな風にあっけらかんとしていられるのだとも思うとホッとする。 「和樹。」そんな和樹に向かって、エミリがすごんだ。「じゃ、手はいつ握ったの?」 「そんなのは、最初ん時に。はい、言ったから、もういいだろ。」 「最初ん時って、その、映画見た時?」 「そうだよ。あ、でも映画の時はハプニング的なもんで、握ろうと思って握ったのは、プラネタリウムの時だな。」最初に無意識に握った時には振り払われたけれど、ドームの暗闇の中では握り返してきた涼矢の手。その手の大きさに、デートの相手が女の子じゃないのだと改めて気付かされた。でも、嫌じゃなかった。 「和樹、バラし過ぎ。」涼矢が和樹のシャツの裾を引っ張って抗議する。 「うっそ、初デートのプラネタリウムで? あんたってホント、手が早い……。」 「だってその時にはもうキスは済ませてたもんな。手ぇ握ったほうが後だよ。」

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