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第777話 視線 (3)

 明生の疑問はもっともだった。セミダブルのベッドは部屋の狭さの割に大きく、スペースを圧迫している。その分、床にまともに布団を敷くスペースはない。だから今だって、エミリはわずかな隙間にくの字に縮こまって、ようやく寝ているのだ。  普通に考えれば、この部屋で二人が寝ようとするなら、セミダブルのベッドで二人並んで寝るのが妥当だ。しかし、エミリと和樹がひとつのベッドで寝るとなると、いささか問題があるだろう。中学生ともなればその程度の想像はつく。 「さすがにそれはないな。」と和樹は言った。「エミリにベッドを使わせて、俺が床で寝ようとしたんだけど、エミリはどうしても嫌がって、俺がベッドで寝てた。エミリ、翌日には誰かから寝袋借りてきて、それ使って床で寝てたよ。」 「ふう、ん。」涼矢の手が再び動き出した。「気、使わせたんだな。」そう言う涼矢もまた、エミリを気遣い、極力音を立てないように作業している。 「だな。あの時、まだおまえはここに来たことなくて、涼矢より先にあたしが寝るわけに行かないって言い張ってさ。」  その時だ。明生が言った。 「涼矢さんとは一緒に寝るんだ。だから大きいベッドなんだね。」  涼矢の手が再び止まる。そして、明生のほうは見ずに淡々と言った。「明生。腹減ったよな。もうすぐできるからな。」 「何、その、すっごい棒読み。」明生はくすくすと笑った。  しばらくして、涼矢は出来上がった料理をテーブルに持って行った。テーブルも小さめだから、全部は乗り切らない。大皿でドンと置きたいメイン料理も、仕方がないので少なめに盛り付けた。更に、寝てしまったエミリの分をより分けておく。  涼矢もエミリに顔を近づけて、その寝息を確かめた。「よく寝てる。起こすのかわいそうだから、このまま寝かせておくか。」と呟いた。 「結構思いつめてたっぽいよな。」と和樹。 「うん。普段だったら絶対あんな泣き言言わないし。」涼矢は和樹と明生に取り皿と割り箸とスプーンを渡した。 「エミリの分、分けておく?」明生が言う。 「あっちにもう取り分けてあるから、大丈夫だよ。」涼矢はキッチンを指した。  グラタンにペンネアラビアータ、照り焼きチキン、ガーリックトースト、レタスのサラダが所せましと並ぶ。  エミリが寝ているからと、三人は小声で「いただきます」と言い、食べ始めた。 「このグラタン、すっごく、美味しい。」 「良かった。足りなかったら、後でまた何か作るから。」 「充分だよ、そんなに食べられないよ。」  涼矢は明生がそんな会話をしているのを、和樹はにこにこと見守っていた。明生は涼矢が料理上手な理由を聞き出そうとする。涼矢は家庭の事情をかいつまんで話し、自分で料理せざるを得ない環境だったのだと説明した。  家族揃って食卓を囲むことはほとんどない、という話に及ぶと明生は涼矢に同情した。 「猫飼ったらいいんじゃないかなぁ。そしたら、淋しくないよ。」 「おふくろがダメなんだよ、猫。ていうか、動物全般。獣毛アレルギーってやつで。」 「そうか、残念だね。」 「俺も飼いたいけど、ここペット禁止なんだよな。」と和樹が言う。 「先生も猫好きなんだ?」 「猫も犬も好き。どっちも飼いたいぐらい。そうだ、友達にハリネズミ飼ってるやつがいてさ。」  二人で暮らす時には、ペット可の物件に住もう。そんな話もしたっけ。涼矢はぼんやりと考えながら、動物の話で盛り上がる和樹と明生を眺めた。自分も別に動物が嫌いなわけではない。ただ、この二人のように目をキラキラさせるほど好きとは言えない。毎日の散歩は面倒そうだし、糞尿の始末も正直したくない。飼うのは構わないけれど、その時にはそういった世話は和樹が全部担当してくれるんだろうか。 ――和樹にしろ俺にしろ、自分の世話で手一杯だってのに。  涼矢は自分が苛立っていることに気が付くが、その対象が何なのかが分からないまま、ビールを呷る。 「ふう、おなかいっぱい。ごちそうさま。」と、明生が言う。「エミリったら、まだ寝てる。」明生の言い方は心配していると言うより呆れているように聞こえる。  涼矢はまたイラッとして、最後に残った一口を飲み干した。 ――おまえにエミリの何が分かる。  そんな思いが湧いていた。  エミリは頑張り屋だった。愚痴も泣き言も聞いたことがない。あの時だけだ、俺と和樹とのことを知って、バカズキなんかのどこがいいと泣きながら俺を責めた時。それでも最後には和樹を良い男だと言ってくれたし、真っ先に俺たちを応援してくれた。その強さと優しさを、俺は尊敬してる。彼女の涙を見たのは、あの時とさっきだけだ。推薦で体育大に入ったプレッシャーは当然あるだろう。周りはみんなライバルで、カノンみたいな親友もできない中で、一人で頑張ってきたんだろう。――和樹だってそうだ。 ――おまえに、和樹の何が分かる。  胸を突き上げる黒い思いを、涼矢は打ち消さねばと思う。  そんな気持ちなど気付くはずもない明生が、空のビール缶を握ったままの涼矢に話しかけてきた。「涼矢さん、二十歳になったばかりだよね。」

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