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第778話 視線 (4)

「そうだね、先月なったばっかり。」明生に悟られまいと、涼矢は努めて平然と答えた。 「もう、お酒、普通に飲めるの?」 「分からない。」 「え?」和樹と明生が同時に言った。 「今、生まれて初めて飲んだから。親父もおふくろも飲める口だから、弱くはないと思うけど。」  今日こんな風にエミリにつきあわされるまでは、初めての酒は和樹が成人するのを待って、一緒に酌み交わすつもりでいた。弱くはないだろうという推測にも一応の根拠はある。正月のお屠蘇ぐらいなら少し口にしたことはあるし、洋酒を使った菓子を食べても体調がおかしくなったりはしない。そもそも両親やその親戚の飲みっぷりからして、飲めない体質ではないだろう。  だが、正直言うと、今、少しふわふわしている。顔も火照っている気がする。頭が痛い、気持ちが悪いといった不快な感覚はないものの、自分の状態が普通ではないことは分かる。それを自覚してるんだから大丈夫だろう、と雑な論理を組み立てているが、それこそが酔っぱらっている証拠だった。もちろん、涼矢本人はそこまで考えが及ばなかった。 「ちょ、ちょっと待て。おまえまでつぶれたらシャレになんねえよ。」和樹が焦って涼矢の缶を取り上げた。さっきのエミリの時と同じ軽さだ。「おい、もう空じゃんか。なんでおまえら、揃いも揃って……。」 「平気だよ。別に、変わりないだろ? ほら?」涼矢は和樹のほうに顔を向ける。心配そうにのぞき込んでいる和樹を見たら、なんだか嬉しくなってしまった。エミリや明生がいると、やはり和樹はそちらばかりを優先して、こんな風に自分だけを見てくれる機会は減る。それだけ身内同然になったと思えばいいのだろうけれど。  和樹のほうはと言えば、じっと見つめ返してくる涼矢のとろんとした視線と言い、ぐらぐらと定まらない頭と言い、様子がいつもと違うことに心配より困惑していた。「涼、やっぱちょっとおかしいって。」 「ん? おかしい? どこが?」涼矢は更に和樹ににじりよって、顔を至近距離に寄せた。そのままキスでもしそうな勢いに、和樹は慌てて涼矢の肩を押しのけた。 「おい、待て。あ、明生、いるし、見てるしっ!」 「明生? ああ、うん、分かってるよ。」涼矢は明生のほうをぼんやりと見る。 「だ、大丈夫ですか。」明生が戸惑いながら言う。 「なんだよ、明生まで。大丈夫に決まってるだろ。」ほら、こんなにシャンとしてる。そう見せようと胸を張るつもりが、うまくバランスが取れない。姿勢が保てないままふらついて、和樹にしなだれかかることになった。和樹の肩に頬を載せると、急激に眠気が襲ってきた。 「涼矢、おい!! 寝るなよ。」必死の声だが、寝ているエミリの手前、大声は出せない。 「寝てないよ。」と言いながらも、涼矢は目を開けることができなかった。意識が益々ぼんやりする。ただ、このままだとずるずると崩れ落ちそうになることだけは察して、和樹の首にしがみつくようにして倒れまいとした。  かくして今、明生の目に映っているのは、和樹にしがみついて、今にも寝てしまいそうな涼矢の姿だ。「あのぅ……。」と気まずそうに言うが、その先、何を言ったらいいか分からないでいる。 「すまん。非常にすまん。ほんっとうに申し訳ない。」和樹は片手でなんとか涼矢をひきはがそうとしながら、もう片方の手で手刀を切るようにして明生に謝った。 「僕、そっち見ないほうがいいですか。」もう既に明生は視線のやり場に困って、不自然にうつむいている。 「あ、いや。」と一度は否定したものの、「……うん。」と言い直す和樹。  明生は和樹と視線を合わせないようにしながら、のっそりと立ち上がった。「……トイレ借ります。」  本当に用を足したいわけではないことは明白だが、今は明生の機転にすがるしかない。「えっと、その、右の奥のドア。」涼矢をぶらさげたまま、和樹が言う。  明生がトイレに消えると同時に、涼矢は「和樹ぃ。」と言った。寝ぼけているのだろうが、普段なら決して出さないような、間延びした言い方だ。あるいは、ベッドで甘えてくる時の。和樹はとっさにトイレ方向を見る。明生の姿はない。今の声が聞かれていなければいいが、と祈った。  涼矢の声に反応するかのように、エミリが寝返りを打った。眠りながらも泣いていたのか、目尻に涙が溜まっていた。このまま泊まるのも困りものだが、今このタイミングで起きて、エミリにまでこの状態を目撃されるのも困る。八方塞がりの状況に和樹は一人困惑し、若干腹を立てていた。 ――まったく、なんなんだよ、こいつら。  そう思った矢先に、エミリが何か呟いた。「りょう」、和樹にはそう聞こえた。  さっき気にしていた「学生寮」の「寮」なのか。夢で誰かに「了解」とでも言ったのか。……それとも、「涼矢」の「涼」なのか。

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