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第780話 視線 (6)
明生は涼矢に謝られて、却って困惑している様子だ。「だ、大丈夫だから。涼矢さんの料理、全部すごく美味しかった。ごちそうさまでした。あと、ディズニーもすごく、すっごく、楽しかったし。エミリにも、起きたら、お礼言っといてください。」
涼矢はホッとしたように微笑んだ。「うん。こっちこそ、ありがとう。また懲りずに遊んでね。」
「はいっ。」明生ははっきりとした声で返事した。
和樹が明生を連れて出ていく。それを見送ると、涼矢は再び睡魔に襲われた。
「おい。涼。」
眠っている間にどれほどの時間が経過したのか、さっぱり分からなかった。深夜なのか翌朝なのかも分からない。
ぼんやりを目を開けて、辺りを見回す。テーブルの上の食器は片付けられ、少しだけ位置が変わっている。和樹がエミリの寝るスペースを少しでも拡張してあげようとした結果らしい。そのエミリは横向きになって、ベッド側に背を向けて寝ている。
「悪い、片付け任せきりで。」
「皿洗いはしてない。シンクつっこんだだけ。」
「うん、それは明日俺がやる。やります。」
「そうして。……で、もうちょっとそっち行って。俺の寝る場所がない。」
いつの間にか和樹だけがパジャマ姿だ。正確には、パジャマの代わりのTシャツに短パンだが。涼矢もエミリも外出着のままだった。
「今、何時?」和樹の場所を空けながら、涼矢が聞いた。
「もうすぐ二時。」
駅のホームでの待ち合わせに始まった今日一日。ひどく長かった。二時と聞いて、まだそんなものかと涼矢は思った。「……俺も着替えようかな。」もう明け方近いと言うなら服のままで済ませてしまおうと思ったが、夜中の二時なら普段の就寝時間と大して変わらない。
「ついでにシャワーしてくる。」涼矢は着替えを手にして、浴室へと向かう。
「パンイチでうろつくなよ。いつエミリが起きるか分かんないからな。」
「和樹じゃあるまいし。」
そんな会話をしたものの、エミリが起きる気配はなかった。
シャワーを済ませた涼矢は、浴室から出て、ふとひっかかりを感じた。何か忘れている気がする。記憶を遡りながらベッドに戻った。和樹の足元を回って壁側に滑り込む。いつの間にか二人並んで寝る時は、壁側が涼矢と決まってしまった。
和樹の肩を支点にして体を少しだけ起こし、エミリの様子を覗き込む。相変わらず体をくの字にして横向きに寝ているのが見えた。照明を消し、声さえ出さなければバレないと確信してから、和樹の頬にキスをした。和樹のほうからは唇にキスを返してきた。ほんの小さな「チュッ」という音がやけに大きく響く気がして、もう一度エミリを見た。薄暗がりだからはっきりとは分からないが、姿勢は変わっていないようだ。
その時だ。さっきもこんな風に、和樹とキスをしながら何かを見たのを思い出した。だがその光景の記憶はモヤモヤとしていて、何を見たのかはっきりとは思い出せない。
どちらにせよ酔っぱらっていたのは間違いない。何か見たような気がする……なんてことを気にするより、明日になったら和樹や明生にちゃんと謝らないと。そう思いながら、涼矢は今夜三度目の眠りに就いた。
翌朝目を覚ますと、和樹もエミリも既に起きていた。
「あ、起きた。」と和樹が言った。
「……ん。はよ。」だんだんと視界がはっきりしてくると、まず目に入ってきたのは神妙な顔のエミリだ。同時に昨日の自分の失態も思い出す。
「ごめんなさい。」エミリが急に頭を下げた。「あたし、いつの間にか寝ちゃってて。泊まらないって言ってたのに、ほんと、ごめんなさい。」和樹に対しては土下座の勢いだ。
「まあ、今更しょうがないけどさ、間違っても他の奴の前で酒は飲むなよ。」
「……言い訳するつもりはないけど、今までだってお酒は飲んだことあるのよ? でも、あんな風になったことはなかったの。つい、気が緩んで。」
「心身弱ってる時に一気飲みなんかするから。」
エミリが目を見開いた。「弱って……? やだ、あたし、何話した?」
「そこから覚えてないのかよ。」和樹は呆れたように苦笑した。「思うように泳げないんだろ? そういう時はさ、無理すんなよ。」
「その話……しちゃったんだ。」エミリは気まずそうにうつむいた。
「なんて言ってるけど、正直、あれだよな、無理しなきゃなんない時もあるっていうか。今無理しないでいつするんだって思うよな。限界超えたい時って。」
エミリはうつむいたまま頷いた。
「俺は辞めた人間だから、偉そうなこと言えないけど。」
今度はぶんぶんと首を横に振るエミリ。
「まあ、奏多なら、伸び悩んだ時は。」
「基本をやり直すところから。」と涼矢が口を挟んだ。
「そうそう、それ。口癖みたいに言ってたよな、あいつ。」
「基本なんて、もう、何度も。」エミリが小さな声を絞り出すように言う。
「じゃあ、もっと基本に戻ったら?」
「もっと?」エミリが顔を上げる。
「何やってもダメな時もあるけど、ぐんと良くなった時もあるだろ? 今までの、タイムがガッと良くなった時期、高校か中学か、もっと前か知らないけど、そういう時のことを思い出してみる。」
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