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第781話 視線 (7)

「そんなこと言っても……体型も変わってるし、コーチも違うし、トレーニング方法だって日々進化してるんだよ? 昔はそれで良くなっても、今もそのやり方がベストってことにはならない。」いくら罪悪感があろうと、現役選手としては大人しく引き下がれないのだろう、エミリは真正面から反論した。 「いや、そういう身体的なことだけじゃないと思うんだよ。もし誰か信頼できる昔のコーチがいるなら会って話を聞いてもらうとかね。そういうの、プールで泳ぐより何かつかめるかもしれない。」 「田舎に帰れって言うの? そんなの無駄よ、メンタルがどうこうじゃないのよ、もっと、あたしは。」エミリはムキになって言い返す。 「何言ってんだよ、どう見たってメンタル面、大きいだろ。昨日のおまえの様子、録画してきゃよかったよ。それ見たら分かるよ。」  昨日の醜態を持ち出されてはエミリも何も言えなくなる。 「な、いつものエミリじゃなかったよな?」追い打ちをかけるつもりもないが、和樹は涼矢に話を振る。 「……俺もひとのことをとやかく言えないけど、うん。ちょっと……相当、無理してる感じはした、かな。昔のコーチに会って良くなるかは分からないけど、一時的にでも環境を変えてみるのは悪くないかも。」  涼矢が話す様子をエミリはじっと見つめる。その視線が自分に向けられている時とは異なる気がして、和樹は落ち着かない気分になる。 「それはそうと、君たちね。」和樹は二人を順繰りに指さした。「俺はまだしも、明生の前であれはないだろうよ。」  涼矢もエミリも途端にシュンと小さくなる。 「バカズキだのなんだの、散々俺のことバカにしておいて、なんなわけ?」 「それは俺、言ってない。」 「涼。」和樹は涼矢を一睨みした。涼矢は首をすくめる。 「ごめん。」とエミリが言った。 「とりあえず二人共、明生に謝って。」和樹はスマホを取り出し、カメラモードにした。「はい、謝罪のポーズ。」 「謝罪のポーズ?」涼矢がエミリを横目で見ると、エミリは手を合わせて頭を軽く下げている。そうすればいいのかと、涼矢も真似をした。カメラのシャッター音が響く。 「今のは俺から明生に送っておくから、おまえらもごめんなさいメールしておけよ?」 「はい。」二人して神妙に答えた。  それからエミリは、自分のスマホを片手に、涼矢に明生の連絡先を尋ねた。 「明生には俺から言っておくからいいよ。」と涼矢が言った。 「だめよ、あたしは自分の口で謝りたいの。」 「……じゃあ、明生に聞いてみる。」 「何を?」 「エミリに連絡先教えていいかどうか。」 「え、いいでしょ、そりゃあ。」  和樹はそのやりとりを聞いて軽く笑う。「ああ、涼矢ね、そういうの厳しいの。個人情報。」 「あたしと明生の仲だよ? 大げさじゃない?」 「大げさなぐらいでちょうどいいだろ。」  涼矢がそう言ったのを聞いて、和樹はエミリがこの部屋に転がり込んできた理由を思い出す。涼矢の警戒心は、正直それこそ「大げさ」に感じていたのだけれど、エミリのあの経験を思えば、それでちょうどいいというのは正しいように思えてくる。「まあ、確かに、エミリは人一倍気を付けたほうがいいかもな。すぐに信用するから。」 「だからストーカーに遭うんだ。」涼矢は、せっかく和樹が配慮して言わなかった単語を言った。 「あたしが悪いって言いたいの?」エミリはムッとする。その反応もまた当然だ、と和樹は思った。 「エミリは人が好いから心配ってこと。ちょっと仲良くなっただけで、すぐ信用しちゃうだろ。でも世の中には悪い奴がいっぱいいるからさ。」  和樹のフォローの言葉にエミリは少し気を良くするが、またも涼矢が水を差す。「そうだよ。それに明生はまだ中学生だし。」 「悪いことなんかしないよ、あの子。」 「俺だって明生がなんかするとは思ってないよ。でもあいつのスマホ、親が管理しやすくしてあるのか、ロックもかかってないんだよ。どこかで落として変な奴が拾っちゃうとか友達が悪戯するとか、そういうことだってあるだろ、って話。」 「そんなこと言ったら誰も信用でき……。」そう言いかけて、エミリは一瞬口籠る。「……でも、そっか。それであたし、和樹に散々迷惑かけたんだしね。」 「俺の迷惑とかどうでもいいんだけど、もうちょっと危機感つうか。そういうのあったほうがいいんじゃないの。大体さ、女一人で男の部屋来て、酒飲んじゃだめだろっつの。」  エミリは和樹と涼矢を交互に見た。「うん。分かった。」と殊勝に答える。「涼矢にも同じこと言われてたのにね。なんかさ、安心しちゃうんだよ。あたし、こっちに親戚もいないし、昔からの知り合いもあんたたちだけだし。……言い方良くないかもしれないけど、あんたたちとは、あの、そういう、変なことになる心配ないから、つい気が緩んで。」  和樹と涼矢は顔を見合わせる。 「俺はないけど、和樹とは何かあるかもしれない。」と涼矢がボソッと言う。 「は? 何言ってんだ、おまえ。」 「据え膳は食うタイプだろ、おまえ。」 「ねえよ、アホか、エミリだぞ。」 「ちょっとちょっと、あたし、失礼なこと言われてない?」  今度は三人でお互いの顔を見合う。一瞬の後に笑いが起きた。 「くだらないこと言ってないで、明生に謝っておけよ。」  結局エミリからは、「エミリより」と付け加えて、涼矢の端末から明生に謝罪メッセージを送った。

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