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第783話 視線 (9)

「涼矢。」 「うん?」 「おまえも一緒に帰れば?」 「え。」  エミリも驚いて和樹を見た。そのせいで涙まで止まる。「ダメだよ、そんなの。そんなことしてもらっちゃ、マジで困る。だって涼矢、九月に入ってから帰るって明生にも言ってたじゃない。」 「そのつもりだったけど。」涼矢は真意を探るように和樹を見た。 「あと何日もないだろ。大差ないし。……エミリ一人で帰すの、なんか心配。」 「平気だって。ただでさえあんたたちには借り作ってばかりなんだから。」 ――借り。  哲は時折、涼矢に対してその言葉を使っていた。バイト先としてアリスの店を紹介したり、食べきれそうにないオムライスを半分あげたりしただけなのに、そんな些細な事柄を指して「田崎には借りばかりある」などと言っていた哲。涼矢のほうはいちいち気にも留めていないようなことで「貸し借りをしたくない」なんて言うものだから、逆に腹が立った。 ――そうだ、それで、言い合いってほどでもないけど、なんかギクシャクして。 ――あれはうちにあいつを泊めた日で……それでその後、あいつは、俺に乗っかってきやがった。 「貸し借りなんかじゃないだろ。」涼矢の言葉は、哲への苛立ち混じりだったから若干の棘を含んだ言い方になった。「俺は……俺も和樹も、貸しだなんて思ってないし、返せとも思ってない。」 「そりゃそうだろうけど、今まで迷惑かけてたのはほんとだもん。」 「それなら、昨日一日つきあわせたのは俺なんだから、それでお互い様だろ」 「昨日は一緒に遊んだだけでしょ、あたしも楽しかったし。そんな風に言われたら気楽に遊びにも誘えないよ。」 「俺らだってそうだ。それをいちいち貸し借りとか。」 「……それはそうだけど。でも。」エミリは困った顔で和樹を見た。「邪魔したくないのよ。」 「まあな。遠距離だしな。めったに会えないしな。」和樹は言った。 「でしょ?」 「でも、涼矢は友達思いだからさ。」和樹は涼矢をチラリと見る。「俺が行くなってつっても、休み切り上げて、あいつ連れて帰ったこと、あったよな?」 「あ、あれはっ。」  哲がこのまま退学でもしてしまうのではないかと恐れて、なんとしてでも連れて帰ろうと思った。けれど、その時だって和樹がどうしても嫌だと言うなら従うつもりだった。ただ、そう言いだすことはないと分かっていた。哲がどんな人間であれ、「俺の友達」である限りは、助けてやれと言うのだ。そういう人間なのだ、和樹は。 「哲にはついていってやったのに、エミリは一人で帰れって?」和樹が重ねて言う。 「帰れるってば。」エミリが言う。「今までだって何度も一人で帰省してるって。」 「そういや和樹って、やたら送り迎えしたがるよな?」昨日の明生だって、塾の帰宅時間より早いぐらいのはずなのに、家まで送っていった。ポン太が専門学校の下見で東京に来た時には、早朝から高速バスの発着場まで迎えに行った。哲が留学に発つ日に至っては、頼まれてもいないのに、空港まで見送りに行った。 「や……別に、したがってるわけじゃ。」否定しつつも、自分でも心当たりがあるようで語気は弱い。「なんか……嫌なんだよ。一緒にいようと思えばそうできるのに、誰かを一人にさせるのってのが。」 「あー、確かに和樹、ぼっちの子いると声かけたりしてたよね。」 「良い子ぶってるつもりもないんだけど、そういう奴が学校来なくなったりするじゃん? そうなってから、だったら声かけてやるぐらいのことしてやれば良かったなって後悔するのが嫌なんだ。自己満足だよ。」和樹は涼矢を見る。「八方美人だから。」  涼矢は和樹のその言葉と視線をどう受け止めればいいか戸惑った。和樹のそういう性格を八方美人と言ったのは自分だ。でも、それが和樹の最大の長所でもあるとは思う。それに、その優しさは全方位的で、相手を選り好みしない。好かれたい相手にのみ発揮されるのではないのは、特に哲の件を考えれば明らかだ。それから自分より弱い者を助ける、というのともちょっと違う。和樹よりずっと年長で尊敬もしているだろう久家先生だって、葬式帰りの時には自宅まで送ってあげてほしいと頼んできた。  和樹の優しさは、お節介と言うよりは、一人でいる者の隣に黙って寄り添う類の、押しつけがましさのない、そっとした優しさだ。だからやがて、相手のほうから和樹に寄ってくる。 「分かったよ。」と涼矢は答えた。 「分かったって、何よ。」 「一緒に帰る。」 「やめてってば。」 「だってエミリ、一人になったら酒飲んで暴れるかもしれないし。世間に迷惑かける。」 「あんただって酔っぱらったんでしょ? 変わらないじゃない。」 「だから、いいんだろ。お互いにしっかり監視しろよ。」和樹が言った。 「何それ。」エミリは不服そうに和樹を見た。「だいたい、和樹は嫌じゃないの?」 「何が。」 「何って……。あたしと涼矢で帰ること。あんただってせっかくの機会なんだから、もっとイチャイチャしたいんでしょ、ほんとは。」 「うーん。そうだねえ。でもま、それはまた会えばいいだけの話だし。でも、エミリのそれはタイミング逃しちゃマズイ気がするから。」和樹は流し目のように涼矢を見る。「ね、涼矢くん。またすぐ会いに来てくれるだろ?」

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