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第790話 New Season (7)
――気が付いてなかった? 目が合ったと思うんだけど。
あの時は酔っていたし眼鏡もかけていなくて、よく見えていなかった。でも、誰かがいるとは思った。目が合ったと言えば合ったかもしれない。
「……そんな、わざとなんてことは……。覚えてはいるけど、酔ってて、明生が見てるってはっきりと分かってたわけじゃないんだ。」
しどろもどろな言い訳に対して、明生は容赦なく追い打ちをかけてきた。
――はっきりとは分かんなくても、ちょっとは分かってた? それでもあんなことしたんなら、それは、わざとって言うんじゃない?
ようやく判明した明生の不機嫌な態度の理由。――和樹に対してじゃない。俺に対して、明生はずっと腹を立てていたんだ。
涼矢は何も言い返せないと思った。いつもなら……相手が和樹なら、こんな時はついだんまりを決め込んでしまう。けれど、それではあまりにも明生に不誠実だと思う。彼は彼で一ヶ月近く、そんな怒りやモヤモヤとした思いをどうにかしたいと苦しんでいたに違いないのだから。
反対に、たかがキスシーン見ただけのことじゃないか、もう中学生ならその程度でガタガタ言うなと、そんな風に明生の幼さのせいにして笑い飛ばしても良いだろう、とも思ってしまう。でも、明生の、和樹への想いを軽く見るなと言ったのは自分だ。
涼矢は必死に言葉を返す。下手な自己弁護だと知りつつ、それしかできなかった。
「ごめん。ずるい言い方になるけど、本当に、無意識で。見せつけてやれとか、そんな風に思ってたんじゃないんだ。恥ずかしい話、まあ、ちょっと、そういうこと、したいな、と思って、その時、もしかしてあそこで見てるの明生かな、とは思ったんだけど、ぼんやりそう思っただけで……いや、でも、そこでやめるべきだったよな。それがやめられなかったのは俺が悪い。その後も明生、何も言わなかったから、やっぱり見てなかったんだと思っちゃってた。ごめん。」
明生は黙って聞いてくれていた。最後の「ごめん」まで聞くと、ただ穏やかに言った。
――ううん、別に恋人同士なんだから、いいと思う。それに、今の、わざと見せつけたんじゃないって話も、信じる。僕ね、その後だって、先生が好きだったよ。今も好きだよ。でも、思い出すたびに、なんかがだんだん変わってきちゃって、前みたいには、先生が好きでいられなくなった。
明生の恋にけりをつけてやりたかった。なるべく穏やかに。ならば、今のこの状況は、理想の着地点に近い。そう思えばいいはずなのに、罪悪感に苛まれる。明生だけでなく、和樹にも申し訳ない気がした。
「悪かった。あんなこと、酔ってようがなんだろうが、こどもの前でやるべきじゃなかった。」
――僕はそこまでガキじゃないって涼矢さんが言ったんじゃん。
そうだ。そう思うからこそ、今もこうして、真正面から話している。だが、ふいに口から出てくる言葉は、やはり明生をこども扱いしている。――あの時もそうだった。今、はっきりと思い出した。こどものおまえにはこんなことできないだろう。そんな気持ちで、明生が見ているのを知りながら、和樹にキスをした。明生の言葉を借りるなら「わざと」だ。これは俺のものだと見せつけたくて、そうしたのだ。
誰よりも明生をこども扱いしていたのは俺だ。こどもの前で「いいもの」を見せびらかして、憧れの眼差しで見られることに陶酔し、どうせ扱いきれないだろうと内心馬鹿にしながら「ちょっとぐらいならいいよ」と鼻先でちらつかせ、案外上手に遊ぶのを見たらイライラして「これは俺のものなんだから触るな」と取り上げた。そんな、誰よりも幼稚な態度を取っていたのも俺だ。
「ごめん。」
――謝んないでよ。わざとじゃないならいい。ごめんなさい、変なこと言って。とにかく、それだけ気になってた。でも、分かったからもういい。僕の片想いは、これでもうおしまいにする。
おしまい、という単語に涼矢はビクッとした。「明生?」
――一応言っておくけど、涼矢さんのせいじゃないよ。
涼矢の気持ちを先回りした明生のセリフに、涼矢は一瞬言葉を詰まらせた。
「……やっぱ、大人だな、明生は。俺、自分が情けないよ。」
――違うよ、僕はまだこどもだよ。だってさ、あんなキス見ただけで、嫌になっちゃうなんてさ、僕がまだこどもだからだ。だから、待っててよ。僕が大人になるまで。そしたら、もう一回、僕、先生のこと、好きになるかもしれない。その時には、もっとちゃんと、涼矢さんのライバルになるよ。
まだこどもだよ、と言う明生の言葉に救われてしまう自分が情けない、と涼矢は思う。だが、それは明らかに大人びた感性から出る言葉だ。明生は遠からず、この言葉通りの「大人」になるんだろう。俺よりずっと先のことを見据えられるような大人に。
「……本気?」
――うん、本気。
「手強いライバルになるな。」それは半分以上本心だ。今の明生の年頃の自分は、行先を失った初恋に苦しみ、あるいは二度目の恋に足がすくんで何もできずにいた。弱くて、愚かで、自分ひとりが世の不幸を背負っている気分だった。あの海に明生を引きずり込まないようにと願って、だから連絡先だって教えた。涼矢はそんな初心を思い出す。
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