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第791話 New Season (8)
そんな手助けなど要らないほどに、明生は元からしたたかだったのかもしれない。でも、今尋ねたって、社交辞令でもなくきっと彼は言うのだ。涼矢さんに会えて良かった、都倉先生を好きになって良かったと。
彼の人生の中の良い出会いのひとつになれたのなら、それでいい、と涼矢は思った。
――うん。頑張る。
屈託ない明生の声が聞こえた。
「そっか。……じゃあ、俺も頑張る。明生が大人になる頃には、俺はもっと先にいられるように。」明生が追いつけないほど先へ。
うん、と明生は素直な返事をした。
和樹と手を取り合って、この子に恥じないような生き方を。そんな自分たちでいられれば、明生はまた追いかけてきてくれるだろうか。
「……明生。」
――うん?
「ごめんね。それと、ありがとう。それから、俺、明生のこと、大好きだから。」
――うん。僕も、涼矢さん、大好きだよ。
多分、明生と会って、親しく話すことはもうないのだろう、と涼矢は感じた。もしその日が来るとしたら、明生にも素敵なパートナーができて、結婚の報告でも受けて、お互い年取ったなあなんて言えるような、そんな日。
電話を切って、涼矢は椅子に腰かける。部屋の中をぐるりと見回す。これといって面白みのない部屋。隣の父親の部屋なら、かつて夢中になったプラモデルが並んでいるが。生きている人間とはうまくやっていけなかった頃、物言わぬそれらを組み立て、色を塗ると言った作業に没頭した。
――けりをつけたのは、明生じゃなくて俺のほうか。
――明生みたいにはやれなかった。好きな人に好きだと言えなかった。それが悔しくて、羨ましくて、悲しかった。
――でも、明生が和樹に、俺に、躊躇なく「好きだ」と……そう言ってくれたから、俺は俺をやっと許せる気がする。
――弱くて愚かだったこどもだった日の俺を、今なら抱き締めてやれる気がする。
ひとしきりそんなことを考えた後、涼矢は本棚のファイルの背表紙を見た。そこに文字はない。自分で描いたイラストのプリントをファイルしてあるだけのものだからだ。和樹にあげた青い絵のページは空いたままで、再プリントはしていない。そうしていたほうが、和樹が持ってくれているという実感がある。
時計を見る。22時と、いつもより少し早いが、和樹に電話をかけた。呼び出し音だけが鳴り、留守番電話に繋がりそうになったところで、慌てた声の和樹が出た。
――悪ぃ、今風呂から出たとこで。
「ああ、じゃかけなおすよ。」
――ヘーキヘーキ。何、どうした?
「明生と話した。」
――お。なんか言ってたか?
「ううん、別にこれといったことは言ってなかったけど、やっぱり学校のほうが忙しくなったし、和樹のことは、前ほど……少し落ち着いたというか。」
――要は気持ちが冷めたってことだな。ガーン、ショック。
和樹はおどけてみせた。
「テレビのアイドルの実際を見たら、ってとこかな。」
涼矢も軽い口調で言う。
――ま、それならそれでいいんだ。そんなもんだろ。
明生のことが一件落着しそうになる。涼矢は迷った。そのままこの件を終わらせても問題はないだろう。何でもかんでも暴露するのが誠実さではない。でも、今回の「真実」を和樹に黙っているのは、いくらなんでも自分に都合良すぎやしないか、と思う。
「……今も好きだとは言ってたよ。和樹のこと。ただ、前とは少し違うんだって。」
――うん。アイドルみたいに憧れてたけど、蓋を開けてみりゃそんな大したもんじゃないって分かったんだろ?
「そうじゃなくて。」涼矢は意を決する。「俺、明生に抜かされてたみたい。」
――あ?
「明生がどんどん大人になって、和樹、そのうち抜かされるぞ、なんて言ったけど。俺だった。」
――何の話だよ。
「和樹に馴れ馴れしくしなくなったのも、俺が原因。」
――もう少し分かりやすく話してくれ。
「つまり……キスをね。見られてた。」
――キス?
「あの、俺が酔っぱらってた時。」
――えっ。でも。
「トイレに入ってて見てないって言ってたけど、本当は見てたんだよ。俺のことが心配で、トイレのドア少し開けて。」
――明生がそう言ったのか?
「ああ。それに、俺も思い出した。」
――思い出したって。
「あの時、明生がこっち見てるの、俺、気付いてた。おまえの肩越しに見えた。」
――気付いてたって。でも、あの時、おまえが。
「うん。そう。俺からキスした。見られてるの、分かってて。」
――どういうこと?
「酔ってたことを言い訳にしたくないけど、判断力が鈍ってた。出しちゃいけない本音を出した。……俺、明生に見せつけたかった。和樹は、俺のもんだって。」
和樹が声を荒げた。
――そんっ、そんなの、わざわざそんなことしなくたって、あいつだって分かってただろ。
「そうだよ。分かってたよ。あの子はずっと分かってた。おまえも、あの子も、ちゃんとわきまえてて、俺が暴走しただけ。……だから、ごめん。明生がよそよそしくなったのも、おまえへの気持ちが変わったのも、俺のせいだ。」
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