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第792話 New Season (9)

――本当に、見られたのか? おまえの勘違いじゃなくて? 「ああ。明生に言われたんだ。実は見てたって。わざと見せたんじゃないのかって。俺は……言われるまで、忘れてた。」 ――忘れるか、普通? 「ごめん。」 ――明生、怒ってた? 「うん。……いや、怒ってはいない。けど、どうして俺がそんな、わざと見せつけるようなことしたのかってことを気にしてた。俺は……情けないけど、酔った勢いで頭が回らなくなってて、ごめんって謝った。そしたら、恋人同士なんだからいいと思うけどって言われて、それで。」 ――それで? 「和樹のこと、好きは好きだけど、前と同じ『好き』じゃなくなったって。そう、言ってた。」  電話の向こうで和樹がため息をつくのが聞こえた。 「それを明生の奴、自分がこどもだからだ、なんて……キスを目撃したぐらいで気持ちが変わるのはその証拠だって。だから、もっと大人になってから、もう一度和樹のこと、好きになるかもしれないから、それまで待っててって……。あいつのほうが大人みたいだった。」 ――そんなこと言ってたのか。  和樹はそう言ったきり、黙り込む。涼矢も続きの言葉が思いつかない。しばらくして、和樹のほうが口を開いた。 ――おまえのせいだけじゃないよな。 「いや、俺のせいだろ。」 ――だけじゃない。俺だってあの時、嫌がらなかった。おまえが覚えてるか知らないけど。 「……。」覚えている。誘ったのは自分だが、確かに和樹もそれを拒みはしなかった。むしろ積極的なほどに応えてくれていたと思う。それで安心してしまったのか、その途中で寝落ちしたのだ。 ――俺だって調子乗ってた。同罪だよ。 「そんなことは……。」 ――俺の生徒だ。俺がもっとちゃんと気を付けてやらなきゃいけなかった。 「和樹からは見えなかったんだ。仕方ない。」 ――トイレに行かせたのは俺だよ。……って、こんなことが言いたいんじゃなくて。 「とにかく、ごめん。」 ――おまえに謝ってもらいたいんでもなくて。つか、見られたとか、もう今更だし。明生も中学生なんだからキスぐらいで……って俺が言っちゃダメだけど、でもさ、でも、当たり前のことだろ。嫌がってる明生に無理強いしたわけじゃないし、酔っぱらって誰彼構わずキスして回ったんでもない。昼間の公園でわざわざ見せびらかしたんでもない。好きあってる恋人同士がキスしただけだ。別に恥ずかしいことじゃない。 「でも、明生がそれでショック受けたんなら、やっぱりかわいそうなことしたなって、俺は。」 ――で、謝ったんだろ、それは。じゃあ、もういいよ。俺は結果オーライだ。 「結果オーライ?」 ――明生は分かったんだろ、それで。俺らの間に入る余地ないってことも、俺なんか憧れるほどのもんでもないってことも。そう思っててくれたほうが、俺は気が楽だし。 「明生は、それでも、好きだって言ってくれてたよ。おまえのことも……俺のことも。俺らが思ってるより、ずっと先のこと見てて、だから、頑張るって。俺のライバルになれるぐらい頑張るって言ってくれて。」 ――そっか。  和樹がそれだけ言うと、しばらくの間が空いた。 「大丈夫か? これから。俺はいいけど、おまえは、塾で会うだろう?」 ――大丈夫だよ。明生がそこまで分かってくれてるなら、先生と生徒として、普通にしてればいいだけの話。なんかあっても、久家先生とかにも相談できるし。明生にはおまえがいる。 「俺はもう当てにされてないよ。」 ――そんなことない。明生はきっと、おまえがいてくれたこと、感謝してる。もし明生から連絡来たら、普通に接してやってよ。 「ああ。……まだ連絡くれるならね。」  そうして二人は、電話を切った。  その数日後には、涼矢の予想に反して、明生からメッセージが来た。以前と変わらない、他愛もない話だ。結局それからも週に一度は明生側から連絡が来る。今日もまた「膝に茶々が乗ってきてスマホが打ちづらい」とか「合唱コンクールの練習が面倒くさい」といったメッセージが送られてきた。 [ 声変わりかなー 歌の練習してても声が出づらいんだ ]  そんなメッセージも届いた。 [ 変声期はのどに負担かけないほうがいいから無理しないで ] [ すごい変な声だよ ] [ わかる(笑) ] [ 涼矢さんみたいなかっこいい低音になれるといーなー ] [ ボソボソ喋ってよく聞こえないって言われるけど ] [ それは喋り方の問題でしょ~!! 都倉先生の声は聞き取りやすい ] [ そうだね 彼、滑舌いいんだよね ]  和樹の話題も自然とできる。そんなことにホッとした。それから、変声期という明生の成長に、いつまでも同じところでうじうじしていてはならないのだと、ハッパをかけられる気がした。 ――もっと先へ。明生に追いつかれないほど先へ。  一方、和樹の元には、エミリから順調に復調している、という知らせが来た。地元で立て直しをしていたのは十日ほどで、それ以降は再び東京の大学に戻ってのトレーニングだったが、「基礎からやり直した」収穫は大きかったようだ。  涼矢と和樹はそれらの情報を交換しては安堵し、また、少し焦りもした。

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