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第805話 Silver(1)
和樹に慰められたことはあるだろうか、と涼矢は考える。電話を切った後の話だ。もちろん、高校時代、部活で思うような結果が出せなかった時などには、「ドンマイ」といった言葉をかけられた。ライバル関係だったと言っても、相手の不調で自分が優位になったのでは意味がない。和樹ならそう考えていたはずで、だから、そんな言葉も自然と本心から出てくる言葉だっただろう。和樹が不調の時に自分はどうしていただろう。特に何か言った記憶はない。おそらく奏多や英司が先に何か声をかけて、自分はただそれを見守るだけだったと思う。
同情という感情が嫌いだった。
誰かをかわいそうに思うより、かわいそうと言われることが多かったから。
特に、病弱で入退院を繰り返していた幼少期。
当たり前だけれど、病院は好きじゃなかった。でも、自分以外にも、小さな体で懸命に生きようとする存在がたくさんいることを知った。小児科の入院患者の中でも年長の部類になると、自分より小さい子のために絵本を読んでやったり、簡単な指遊びを教えてやったりすることもあった。そんな他愛もない遊び相手をしてやるだけで、チューブだらけのむくんだ顔に、満面の笑みが浮かぶ。その子をかわいそうだとは思わなかった。居合わせたナースが「あら、みったん、涼矢お兄ちゃんに本読んでもらったの? よかったね。涼矢くん、ありがとね」と言いながら通り過ぎる。
こんな自分でも、誰かのために何かができるのだと思った。それは喜びだった。少なくとも「かわいそうなこと」ではなかった。
だから、「かわいそう」である前提でかけられる慰めの言葉もまた、好きではなかった。
和樹の「ドンマイ」はそうではなかった。慰めと言うよりは激励と言ったほうがいいかもしれない。
今もそうだ。何か失態をして落ち込んでいても、和樹は同情してくれない。「そのままでいい」と手放しで甘やかすこともない。「涼矢は既に頑張ったんだから」という条件付きで「それでいい」と言う。普段の練習ぶりを知ってる上で言ってくれた「ドンマイ」と同じだ。決して「生まれっぱなしで、何の努力もしなくていい」という意味の「そのままでいい」ではない。
――それはきっと、和樹が、俺のしてきたことを知ろうとしてくれてるからだ。
俺の今までのしてきたこと、受けてきたこと、それを全部知るなんて所詮無理な話だ。幼少期の入院ひとつ取ったって、いくら事細かに説明したからって、完全には理解できなくて当然だろう。
それでも和樹は、俺の痛みの原因のひとつひとつを丁寧に救い上げようとしている。俺自身が蓋をしてきた部分。おそらくは渉先生の話がきっかけで。俺が何をして、何を見て、何を聞いて、そしてどんなことを言われて、どんなことに傷ついてきたのか。おふくろが言うところの「棚卸」作業をして、それだけにとどまらずにいっこいっこの検品をしようとしている。
俺にはきっと、「普通」の店なら廃棄処分になるようなものがいっぱい詰まっている。段ボール箱に詰め込んだまま、店頭にも出せない不良品なのに捨てられないもの。それをひとつひとつ取り出して、磨いて、修繕して、「ほら、見てみろ、なかなか良いよ」と言ってくれる。「捨てずに取っておいて良かったな」と笑顔で肩を叩いてくれる。
それが「慰め」なのだとしたら、俺は和樹に既に何度も慰めてもらった。
そして、これからも、そうしてほしいと、そう思っていてもいいんだろうか。
――そん時は、慰めてやるから、ちゃんと俺に言え。
和樹の声を頭の中で再生する。
涼矢は翌日の夕方、夕食を兼ねてアリスの店に赴いた。うっかり店で顔を合わせないよう、佐江子が泊まりの出張であることは確認済みだ。
「記念写真?」とアリスが言う。一人だからカウンター席に通されて、アリスと近い。
「はい。母から娘さんが写真家だって聞いたんですけど。」
「ああ、一二三 ね。今は育児休暇中だけど、機材は一式持ってるし、ちょっとしたものなら撮れるわよ。成人式なのよね?」
「いえ。母とはその話してたかと思うんですけど、実は、その。」
「ん? なあに?」
「結婚式というか。」
アリスはハッとした顔で涼矢を見る。「えっ、和樹くんと?」
「いや、違います違います。」涼矢は慌てて否定した。「佐江子さんの。」涼矢は焦って言い直す。
「さっちゃんの結婚式?」アリスは腑に落ちない様子で小首をかしげた。
「結婚25年目で、えっと、銀婚式なんですよ、今年。で、あの人たち、式を挙げてなくて。」
「んまあ。」アリスはまた驚くが、にこにことしている。「早いわねえ、もう25年? まーくんとさっちゃんがねえ。」
佐江子の「さっちゃん」はともかく、正継の「まーくん」呼びにはどうも慣れない。
「それで、写真だけでも結婚式風のものを撮ったらどうかなって思ってて。」
「あらぁ、涼矢くん、親孝行。素敵だわ、それ、絶対やりましょ。うちでパーティもしましょ。うんとサービスするから。」
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