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第806話 Silver(2)

「いや、それは。そういうのはなしで、ホントに、俺と親だけで良くて。」 「なんでよ、いいじゃない。あ、分かった、さっちゃんの親戚? うまく行ってないんでしょ、あそこんち。でもいいのよ、そんな年寄りは放っておいて、友達とか呼びたい人だけ呼んで、パーッとお祝いすれば。」 「あんまり大事(おおごと)にしたくないんです。嫌がるだろうし、俺もそういうの苦手だし。」 「そーお? まあ、無理強いはしないわ。それに、家族だけでやるほうがサプライズも簡単ね。ご飯食べようって誘えばいいだけだもの。」 「俺、自分があんまりサプライズ好きじゃないから、そうしたほうがいいのかどうか、まだ迷ってます。」 「そうねえ、さっちゃんはともかく、まーくんはちょっと面倒な性格してるから、サプライズは確かにイチかバチかってところね。でも、息子にお祝いしてもらって嫌がることはないはずだわ。」  ちょっと面倒な性格、と言われて、自分は正継のそんな面を引き継いだのだろう、などと思う。 「ねえ、ドレスや指輪は用意してあるの? あ、そうそうブーケは? 私、お花屋さんにも知り合いいるわよ?」アリスがやたらとはしゃいで聞いてくる。 「ドレスなんか着ないでしょ、あの人。」 「そうかしら。せっかく写真に残すならおしゃれしたいんじゃない?」  アリスの言葉に、そういうものなのだろうか、と考え込む。だが、生まれてこの方、佐江子が張り切っておしゃれをするのを見たことはない。職業柄きちんとした身なりをしていることは多いけれど、入学式でも卒業式でも、その仕事着のスーツにコサージュを付ける程度で済ませてきたのを知っている。化粧するにも、親の寝室にあるドレッサーの前に座る佐江子など見た記憶はなく、洗面所で歯磨きのついでのようにものの数分で済ませている印象しかない。  だが、「化粧」というワードで思い出した。  和樹がプレゼントした口紅。  あの時の佐江子は確かにそれを喜んでいた。 「そういうの、やっぱりしたいものですかね。うちのおふくろでも。」 「さっちゃんは要領良いように見えてぶきっちょだからねえ。」  脈絡のない言葉に聞こえて、涼矢はその意味を問いただす。「え、それってどういう?」 「優先順位をつけたら、上からひとつふたつしかこなせないの。今はさっちゃん、あなたを育てることが第一、仕事が二番目。それ以外の、美容に気を付けたりおしゃれしたりなんてところまで手が回らないんだと思うわ。」 「でも、本当はそういうこともしたい?」 「だと思う。涼矢くんの小学校の卒業式だったと思うけど、メイク方法教えて、なんて聞きに来たことあるわよ。あ、でもそれもお洒落したいって言うより、やっぱりあなたのためだったのかな。きっと他のお母さんと並んだ時に、綺麗なお母さんでいてあげたかったのよね。」 「うーん。そんな印象ないですね。式には来たと思うけど、仕事着のスーツにコサージュつけた程度だったと思う。どんな式典でもなんでもいつもそうだから。メイクも特に気が付かなかった。」  アリスは微笑む。少しだけ淋しそうだ。「親の心子知らず、ね。まあ、さっちゃん、私が教えたメイクは濃すぎるって文句言って、結局いつものあの地味ぃいなメイクで行ったみたいだから、その印象で間違いないとは思うけど。」 「俺としてもそれで良かったですよ。突然張り切ってケバケバしくなられても嫌だし、土台はどうしようもないんだから、どんなに頑張ったって美人のお母さんにはならないでしょ。」  そんなことを言いながら、恵の顔を思い浮かべた。佐江子よりは随分と若く見える。佐江子は高齢出産だったから、同級生の親の中では「年長者」に該当するだろう。でも、二人目、三人目の子だとしたら、佐江子と同世代の母親もいないことはない。恵にしても、宏樹がいることを考えたら、見た目ほど若くない可能性はある。要は「若く見える恵」と「老けて見える佐江子」は実年齢はそう変わらないかもしれない、ということだ。いずれにせよ、仮に佐江子が10歳若返ることができて、頑張って化粧したところで、恵のような美人にはならない。「土台が違う」とはそういう意味だ。 「ひどいこと言うのね。」とアリスは呆れた。 「はい?」 「母親の気持ちも、乙女心も踏みにじる発言だわ、今のは。」 「乙女心?」 「大事な息子のため、好きな人のために少しでも綺麗になりたいって思って何が悪いの。」 「……いや、悪いとは思ってないです、けど。普段通りでいいのにって思ってるだけで。」 「ああ、男の子ってそういうところあるのよね。六三四も三七十もこどもの頃は母親がお化粧するのをすごく嫌がったわ。『お母さん』は『お母さん』っていう自分専用の生き物だと思ってて、『オンナ』を出されるのは嫌、っていうか。女の化粧って男に対する性的アピール……まあ、要は(こび)売ってるような意味もあるじゃない? 母親にそういう媚を感じたくないのね。」

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