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第807話 Silver(3)
涼矢は滔々と語るアリスを見た。それこそ佐江子は一生しないであろう付け睫毛が、まばたきの度にバサバサと派手に動く。
「だとすると、アリスさんは、誰に媚売ってるんですか?」
アリスは一瞬不快そうに眉を寄せた。涼矢の言葉を皮肉だと解釈したらしい。けれど、涼矢にその意図はなく、純粋な疑問だということが分かると、元の柔和な顔に戻った。
「化粧の意味は、媚だけじゃないのよ。威嚇だったり、身を守る盾だったり、自信だったり。私はどれも混ざってる。最初は、挫折して卑屈になってる自分を奮い立たせるものだったかな。生まれ変われる気がしたのよね。……六三四の刺青と同じかも。元の弱い自分が嫌で、強くなりたいと思った。決して、他人を怖がらせようとしたんじゃないのよ。」
後半は六三四の刺青の話になってしまったが、涼矢はそれを興味深く聞いた。化粧の意味など改めて考えてみたことはない。刺青のことも。前者は単純に「美しく装うため」以上の意味があるとは思っていなかったし、刺青は「他人を威嚇していばりちらしたい」目的ですることだと思っていた。そのどちらの欲求もない自分は、だから化粧も刺青も縁遠いものだった。
でも、アリスの言うような意味が、そこに籠められているのだとするのなら。
「……化粧とかドレスとかそういうの、俺はよく分かんないんで、また相談乗ってもらっていいですか。」
「もちろんよ。」
そのタイミングで涼矢の注文していた「トルコプレート」が厨房から出てきた。アリスはそれを涼矢の前に置くと、他のテーブルに呼ばれてその場を離れていった。
ケバブサンドと、ナスにトマトと香味野菜を詰めたような冷菜がひとつの皿に盛られている。それにレンズ豆のポタージュ状のスープ。どれもトルコ料理らしい。せっかくの外食なので、自分では作れそうにないものをオーダーしてみたのだ。六三四はまだ下ごしらえしかやらせてもらえていないのだろうか。それとも、このうちのどれかは彼の手になるものだろうか。そんなことを考えながら、涼矢は食事を始めた。
――誰の結婚式だって?
電話の向こうで、和樹が素っ頓狂な声を上げた。
「和樹のご両親。特にお母さんのほう。」
――うちの親の結婚式がどうだったかって、俺が知ってるわけないだろうが。生まれてねえし。
「結婚式はしたんだよな?」
――しただろ、そりゃ。
「写真ないの。」
――あると思うけど。……あ、いや、あるわ。あるある。見たことある。でも見せてもらったのは小さい頃だから、どんな写真だったかまでは……。ウェディングドレスバージョンと着物バージョンの両方あった気はするな。あ、いや、他の記憶と混ざってるかも。
「そんなもんか。」
――そんなもんだろ。涼矢だって……って、そっか、佐江子さんたち、結婚式してないんだっけ。
「そう。」
――だからベールのミニーだったんだもんな。
「そう、それの話なんだよ。」
――写真撮ってあげるんだろ? あれつけてもらって。
「そう思ってたんだけど、普段着に、あんなおもちゃみたいなベールつけて写真撮っても、喜ばないんじゃないかって気がしてきた。」
――でも、ドレスは着たがらないんだろ?
「って思うんだけどねえ、俺は。だって佐江子さんだし。」
――まあ、そうは言ってもウエディングドレスは特別かもしれないけどな。
「和樹もそう思う?」
――も、って他の誰かもそんなこと言ってたのか?
「アリスさん。」
――へえ、なんでアリスさん?
「写真家なんだって、アリスさんの娘。アリスさんはおふくろのこともよく知ってるし、ちょうどいいかなと思って聞いてみた。そしたら。」
――ちゃんとしたドレスのほうがいいって?
「ああ。俺の考えてたのは、適当にメシにでも連れ出して、その場でベールかぶせて写真撮っちゃえっていう、それだけだったんだけどさ。」
――サプライズかぁ。
「うん。前もって言ったら絶対嫌がって逃げるから。」
――でもなあ、確かに、そうと知っていたらもっとちゃんとした格好したかった、って思うだろうな。特に女の人は。だってそれが結婚式の写真としてずっと残るわけだろ。髪型だって化粧だってちゃんとしたいんじゃないの。うちのおふくろなら、そんな状況での写真なんか、絶対撮らせない。
「普段から綺麗なのに。」
――いやいや、そういうことじゃないみたいよ? 俺からしたら何が違うか分かんないことで、ああでもないこうでもないって鏡の前でずーっと悩んでたりするし。
「それは、モデルやってたぐらいだから、人一倍美へのこだわりってもんがあるんだろ。でも、うちのおふくろ、あんなだよ?」
――ひでえなあ。
半笑いではあるが、和樹もアリスと同じように涼矢を責める。責められた涼矢としては、やはり自分の感覚のほうがおかしいのかと認めざるを得なかった。
和樹は更に言葉を続ける。
――それに俺、佐江子さんは綺麗だと思うよ。
「どこがだよ。」
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