809 / 1020
第809話 Silver(5)
――食事でもごちそうしたらいいのかもな。おまえの帰省に合わせてさ。
「ヒロの奢り?」
――おい。
「冗談だよ。」
――そうだ、東京旅行をプレゼントすればいいか。泊まるのはカズの部屋で。
「ちょ、やめて。」
――俺は交通費出してやるから、おまえはせいぜい接待してやれ。
「あの部屋に親父とおふくろ泊まれるわけねえだろ。」
――なに本気で焦ってるんだよ。
宏樹が笑う。
「いくらかなら俺も出すから、なんか考えておいてよ。得意だろ、保護者のご機嫌伺い。」
――得意なはずがないだろうが。毎日頭抱えてるよ。
「ははっ。」今度は和樹が笑う。「あ、そうだ、兄貴ってさ、就活全然してないんだっけ。」
――一般企業の、って意味か?
「そう。」
――しなかったな。教員一本だったから。
「そっか。まあ、そうだよね。高校の頃から学校の先生目指してたもんな。」
――ああ。ダメならダメで、別の仕事しながら次の採用試験目指そうと思ってた。
「ふうん……。」
――どうしたんだ? 就活、悩んでるのか?
「まあ、ちょっとね。教育実習と就活、かぶるからどうしようかなって。」
――時期的にそうなるな。俺の時も、掛け持ちの奴は大変そうだった。でもなあ、教職課程こなしながら一般企業も受けて、第一志望は国家公務員って奴もいたからなあ。そういう奴に限って全部通ったりする。結局そいつ、今、霞が関だよ。
「いるいる、そういう天才。」
――凡人は努力するしかないさ。努力に勝る天才なし、だ。
「へいへい。」
――ほら、すぐそうやって茶化す。おまえだって、やりゃできるんだから頑張れよ。まだ2年だろ、時間はある。
「兄貴に言われたってなあ。」
――どういう意味だよ、そんなに頼りないか。
「逆だよ、逆。俺は兄貴みたいに優秀じゃないんだからさ、自分ができることは俺にもできると思われても困るんだよね。」
――何言ってんだ、実際そうだろう。おまえのほうが何でもそつなくこなしてたじゃないか。それなのにすぐ諦めるから。
「兄貴みたいにできないって分かるからだよ。兄貴が10歳の時にはできたこと、俺は10歳になってもできなかった。そんなことばっかりだった。」
――俺は全力で頑張ってできたことを、おまえは適当にこなすだけで7割できる。そんで、7割しかできないからやーめたってやめちまう。そういうことを言ってるんだよ、俺は。もっと頑張れば俺の何倍もできるはずなのに。
「……。」
宏樹の言うことは理解できるが、どうも根本的なところで噛み合わない。「やればできるのだから頑張れ」、そんな激励よりも、「やればできるのに努力していない」という叱咤のほうばかりが突き刺さる。そもそも「適当にこなして7割できた」記憶などない。そう思っているのは宏樹だけだ。自分としては必死でやって、それでも7割しかできなかったのだ。やる気が出なくて当然だろうと思う。
和樹の無言の意味を分かっているのかいないのか、宏樹が続けた。
――でもま、とにかくおまえがそっちで一人で頑張ってんのは、俺もおふくろたちも分かってるからさ、あんまり無理すんな。
「なんだよ、頑張れって言ったり、無理すんなって言ったり。」
こどもじみた口調の反論に宏樹は笑う。
――それもそうだ。
「だいたい、そんな話されるために電話したんじゃないよ。忘れないでくれよ、写真。
――おう、忘れるところだった。涼矢に見せるんだよな。
「もう。」
――ああ、そうか。
「え?」
――カズ、おまえ、もしかして涼矢が弁護士目指してるからって、焦ってるのかもしれないけど、そういうのは人それぞれなんだからな。
「焦ってなんか……。」
――俺や涼矢みたいに、最初っから具体的な進路を決めてる奴のほうが少ないと思うし。それに、教師にしろ弁護士にしろ、新卒でしかなれないわけじゃない。場合によっちゃ、別の仕事してからなったほうが、その社会人経験が役に立つこともある。
「そうなの?」
――ああ。教師なんか特にな。学校ってやっぱり独特な世界だからさ、保護者の方の言う一般企業の常識とは違うこともよくあって……そんなこと、うちの会社じゃ通用しませんよ、なんて言われるとドキッとするよ。自分に経験があればもう少しうまく話し合えるだろうになって思う。実際、生徒だって教師になるより一般企業で働くことになる率のほうが高いわけだし。そういう経験をしておいてもよかったかもな、と思うことはある。そのために転職するのは本末転倒だからしないけどさ。
「そう、か。」
――うちの高校はいわゆる進学校でもなくて、3分の1は卒業したら就職だしな、余計、こう、頭でっかちなきれいごとじゃ通用しないとこもあるし。
「兄貴も苦労してんだな。」
――まあな。でも、苦労の分、楽しいよ。良い仕事だと思う。カズがもし教師目指すって言うなら、応援する。
「……まだ分かんないけど。」
――ゆっくり考えればいい。
「うん。」
ともだちにシェアしよう!