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第815話 Silver(11)

 家の中は和樹の実家と似たり寄ったりの普通のしつらえだ。ただ、姉と妹がいる形跡なのか、カーテンだったりカーペットだったり、あるいは掛け時計や小物入れの類の雑貨といった一つ一つが、可愛らしい雰囲気だ。出窓に置いてあるサボテンの鉢植えにすら、小さな人形が飾られていたりする。心なしか部屋の香りまで華やかに感じる。 「俺の部屋、そっち。」渡辺は冷蔵庫を開けながら言う。そっち、と言う視線の先には、今入ってきたドアがある。玄関からこの部屋に至るまでには確かに二つばかりドアがあった。トイレと風呂だと思っていたけれど、違ったのだろうか。「あー、何もねえや。どうする? なんか買ってくりゃ良かったな。」 「何も要らないよ。そんなに気ぃ使うな。」 「俺が咽喉乾いてんだよ。豚キムチ、結構辛くてさあ。」 「水道水。」 「やだよ。シュワッとしたもん飲みたい。」 「買ってこようか? 来る時、コンビニの前、通ったよな。」ただし、そんなに「すぐ近く」ではなかったはずだけど、と和樹は心の中で呟く。 「いや、飲みもんだけなら、すぐそこに自販機あるから。ちょっと行ってくる。都倉は何が良い?」 「同じのでいいよ。」 「オッケ。」  靴箱からサンダルを出して、それをひっかけて出ていく渡辺の後ろ姿を見送った。和樹の部屋の玄関の3倍はある三和土には今、和樹の脱いだ靴しかない。渡辺が大学に履いてきて、さっき脱いだローファーはもう靴箱に戻されているようだ。サンダルでさえいちいち扉の付いた靴箱から出すほどに、余計なものは何一つ出しっぱなしになっていない玄関。そう言えば涼矢の家の玄関もそうだった。  和樹の実家も恵がこまめに掃除していたが、何しろ収納スペースが少なくて、どの部屋も何かしらが溢れ出て床の上に出しっぱなしになっていた。そのほとんどは宏樹か自分の部活や趣味のものだった。 ――俺の部屋が物置になったって仕方ねえよなぁ。  自分が上京した途端に季節外れのヒーターや扇風機が置かれるようになった、実家の自室を思い出す。そうしたくなる恵の気持ちが少し理解できた。東京の今の部屋だって、涼矢に指摘されずとも、散らかし放題の現状が良いとは思っていない。ただ、恵の苦闘と同じく、物の量に対して収納スペースが足りないのだから仕方ない、とどこかで言い訳している。 「買ってきたぞ。」ただいまの代わりにそんな言葉を言いながら渡辺が戻ってきた。予想通り、律義にサンダルを靴箱にしまう。天井から床までみっしりと、壁に埋め込まれている大きな靴箱だ。 「いいな、そんだけ大容量だと。」和樹が言った 「ん? ああ、この靴箱? これは姉ちゃんたちのこだわりで、作り付けで、とにかくいっぱい入るやつがいいって、特注した。」 「何足入るんだろ。」 「さあな。俺のはスニーカー入れても5足ぐらいしかねえよ。親父のも。女共がすげえんだ。おまえらの足は何本あるんだってぐらい、靴がある。」 「ハイヒールとか?」 「何、都倉はそういうのが趣味なの?」渡辺は笑いながらペットボトルのサイダーを和樹に渡した。 「女王様踏んでください、じゃないぞ。」和樹も笑って応じる。「でも、いいじゃん、ハイヒール。」  和樹が軽く答えると、渡辺は意外そうな顔をした。そして、その件はスルーして「こっちこっち。」と和樹を手招きした。和樹はバッグと渡されたペットボトルを手にして、渡辺についていく。さっき「ドアが二つある」と思っていた側の壁とは反対側の壁に、もう一つドアがあることを知った。そこが渡辺の部屋だった。  4畳半ほどの狭い部屋だった。壁の上方には賞状が何枚か並んでいた。剣道の大会で好成績を収めた時のもののようだ。年度違いで何枚かあり、中学3年生のもので止まっている。 「スポーツ、やってるじゃん。剣道。」和樹はそれを見上げて言った。 「昔な。それに剣道はあんま運動神経関係ないし。」 「そうなのか?」 「全然関係なくはないけど、どっちかつうと、動体視力とか反射神経みたいなもんが大事で。」 「へえ。……あ、けど、すごい、こっち準優勝で、こっち3位。こんな結果出してて、なんで辞めたの。」 「地区大会止まりだよ。」  辞めた理由については触れない渡辺に、和樹もそれ以上問い詰めようとはしなかった。改めて賞状を見上げて、ふと気づく。 「渡辺って下の名前……(うみ)? そんな名前だったっけ。」 「(かい)、だよ。」 「あ、そうだ。カイだ。こんな漢字だったんだ。名前はマリンスポーツ向きだな。」 「名前の話、やめて。」渡辺は苦笑して、サイダーを勢いよく飲んだ。 「なんで?」 「姉ちゃんがリクで、妹がソラなんだ。」 「分かりやすくていいよ。」 「嫌だよ。」 「もしかしてお父さん自衛官か?」 「違うけど、ほんのちょっと近い。」 「警察官?」 「消防士。」 「おお、かっけー。」 「でも、今の親父は違うよ。普通の勤め人。」 「今の親父?」 「実の親父は死んでる。殉職ってやつ。」 「……あ、ごめん。」 「いやいや、死んだの、俺の記憶にないぐらい小さい頃だし。」 「そっか。」

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