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第828話 Smile!!(3)
涼矢はすぐには何も答えられなかった。千佳の言いたいことは理解できたつもりだ。だが、それをそのまま和樹の気持ちの代弁とするには、条件が違い過ぎる。
「余計なお世話だね、ごめん。」千佳は黙り込む涼矢に気まずそうに言う。
「あ、ううん。千佳の言ってることは分かる。つもり。」
「でも、違うんだよね、きっと。」千佳は困ったような顔で笑った。「私は単純だから。涼矢くんも和樹くんも、きっともっと深く考えてるんだよね。」
「深くって言うか……。ごめん、俺も、人に説明するのが下手で。」
「私なんか、単純に自分もその銀婚式見たーい、なんて思っちゃってるぐらいだから。」
「見たい? 50過ぎのおばさんと還暦近いおじさんだよ?」
「だからいいんじゃない。25年も連れ添って仲が良い夫婦なんて憧れだよ。うちは親が何婚式かなんて知らないし、そういうの、なーんにもしない夫婦だもん。仮面夫婦。」
「娘3人もいて仮面だなんて。」
「まったくよ。それで私たちがいたから離婚もできなかったなんて愚痴るんだから、ほんと嫌だ。自分で産んどいて、人のせいにしないでよねって思う。」
「お母さんがそう言うの?」
「そう。」再び黙り込む涼矢に、千佳は笑いかけた。「深刻な顔しないで。涼矢くんちはそうじゃないかもだけど、そんな夫婦どこにでもいるって。お母さんだって、そんなこと言ってるけど離婚なんて本気じゃないの見え見えだし、そうやって愚痴るのが気晴らしってだけ。」
「愚痴ったって気は晴れないだろ。」
「そういう風にしかできない人もいるの。女には多いよ、ほら、よく、女は共感を重視するって言うじゃない? 愚痴言い合って、分かる分かるって言い合いたいわけ。……私は苦手だけど。」
「うん、千佳はそういう感じしない。」
「女っぽさが足りないってことね?」千佳は上目使いで涼矢を見た。黒目がちの大きな目がくるんと動き、確かにそれは色香漂う女性と言うよりは悪戯を思いついた少年のようだ。
「愚痴るのが女っぽさかどうか知らないけど、千佳は愚痴るイメージない。いつも前向き。」
「そうでもないよ。心の中はね。」
「グチグチしてるんだ?」涼矢はニッと笑った。
「してるしてる。グチグチぐちゃあっとね。嫌なことあると結構引きずるし。」
「それは誰でもそうなんじゃないの。それを外に出すか、隠しておくかの差で。」
「涼矢くんも?」
「すごく引きずる。」
「すごく?」千佳はそこだけを繰り返して笑う。「信じらんないな。涼矢くん、いつも落ち着いてるし。大人で。同い年とは思えない。」
「老けてるんだろ。」
「違うってば。……あ、でも、あれね、和樹くんと一緒にいた時は、ちょっと可愛くなってた。」
「は?」
「夏休みに、和樹くん連れて大学来たことあったでしょ。あ、ここよね、このカフェテリアで、響子もいて。あの時は、年相応に見えた。あれ? 私が言うのも変か。」千佳は自分の言葉に自分で笑う。「とにかく、あの時は涼矢くんも和樹くんも可愛かった。羨ましかったよ、本当に。妬むと言うんじゃなくて、憧れちゃうって感じ。――涼矢くんのお母さんたちの銀婚式も、きっと素敵だと思うし、そこに涼矢くんだけじゃなくて和樹くんもいたら、もっと素敵なんじゃないかなって、なんとなく思っちゃった。それだけ。」
涼矢は両肘をつき、指先を組み、その指先で表情を隠すようにした。「あのさ、そういう……俺、なんて言っていいか分かんねえよ。」
千佳は声に出して笑った。「今の涼矢くんも可愛いよ。」
「あの時は、悪かったな。高村のせいだけど。」涼矢は話題を変えた。本来、思い出したくもないことだが、褒め殺しのような話題よりはマシな気がした。
「うちらは全然。あの後、あいつ、私と響子には謝りに来たけど、涼矢くんにも謝った?」
「そんなのないけど、会いたくもないからそれでいい。」
「……ほんとだ。」
「何が。」
「意外と根に持つ。」千佳がニヤリとする。
「意外と、じゃないよ。前からこんなだよ。」
涼矢はアイスコーヒーを飲もうとしたが、口に触れたストローはするりと逃げてしまった。そのストローを指で固定して改めて口に含む。白いストローの中を黒い液体が上ってくる。千佳はそんな涼矢の一連の動作をじっと見つめている。その視線に気づいた涼矢が何?と言いたそうに、でも、ストローから口を離すことはせずに千佳を見返した。
「好きな人がいるっていいね。」と千佳が呟いた。
「ん?」と涼矢が聞き返す。
「涼矢くんは和樹くんが好きで、ご両親のことも好きで。その人がいるから、頑張れるんだよね。そういうのって、いいなあ。」
千佳だって哲のこと好きだろう? ――そう言いたいが、哲に振られた立場の千佳にはさすがに言えなかった。それに、哲が千佳の「頑張る力」を引き出してくれる存在とも言い難いと思う。
「ね、今、哲ちゃんのこと考えたでしょ?」千佳は涼矢を覗き込むようにして言った。
「え……。」
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