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第829話 Smile!!(4)

「気にしなくていいから。あのね、涼矢くんにはそう見えないかもしれないけど、私、哲ちゃん好きになれて良かったと思ってるよ。はじめは響子のために頑張って勉強したんだけど、哲ちゃんは私のそういう頑張りを認めてくれた人で、だから私は哲ちゃんのこと好きになって、哲ちゃんの前で恥かかないように、って頑張るようになった。私は、誰かに認めてもらえないと頑張れない他力本願タイプだから、あの二人には、本当に感謝してるんだ。」 「哲でも役に立つこと、あるんだな。」 「ひどい。」千佳は笑った。 「頑張れって言うだけなら、俺にもできるけど。」 「要らない、そんなの。」 「俺のエールなんか要らないって?」 「哲ちゃんだって頑張れなんて言ってくれなかった。いっつも響子と二人、難しい話して。そういう時の私は、大人の中のこどもみたいで、お情けでそこにいるみたいだった。それが悔しくて、だから頑張ったの。二人のおかげっていうのは、そういう意味だよ。」千佳は涼矢を上目遣いで見た。「涼矢くんが羨ましかった。哲ちゃんと対等で。……哲ちゃんに好きになってもらえて。」  涼矢は、千佳の最後の言葉に動揺すまいと思った。そう思えば思うほど、どんな顔をしていいか分からなくなり、いたずらにまたコーヒーを飲んだ。ほとんど飲み切ってしまったそれが、ズズ、と音を立てた。 「素敵な彼氏がいるのに哲ちゃんまで取らないで、って正直思ってたよ。」千佳は眉を下げて、泣いているように笑った。 「あいつは……別に、俺とは、そういう。」  千佳は涼矢を無視して続けた。「自分を振った相手の幸せを祈るのって難しいね。ようやく最近、向こうでいい人でもできたかな、だったらいいなって思えるようになってきた。」 「哲は大丈夫だよ、世界のどこにいたって。」 「大丈夫じゃないよ。哲ちゃんが大丈夫だったのは、涼矢くんがいたからだよ。」千佳の目が遠くなる。何かを思い出すように。「哲ちゃんと最初に知り合ったのは、一般の人向けの英文学の公開講座の時で、周りはご年配の人ばかりでさ、学生席もあったんだけどスカスカで、そこに私たちと哲ちゃんと、あと何人かしかいなかった。それでなんとなく話するようになって、講義でも何回か顔合わせるようになって。だいぶ経ってから実は法学部だって聞いてびっくりしちゃった。自分の講義は大丈夫なの、って聞いたら、話が合う奴がいないし、ゲイだってバレてからはみんなよそよそしくなって、人付き合いが面倒くさいって言ってた。」  そんな哲のことは知らない。知っているのは、いきなり馴れ馴れしく話しかけてきた 人懐っこい哲だ。 「涼矢くんにだって、話しかけてみようかな、ウザがられるかな、ってすごい気にしてたんだから。」 「あいつが?」 「そう。初めて話しかけた時は、あいつ面白い、気に入ったってわざわざ報告しにきたよ。……言いながら落ち込んできちゃった。哲ちゃん、最初から涼矢くんのこと好きだったんじゃない、ねえ?」  千佳はどこまで知っているのだろう。今のこの話は千佳の憶測なのか、それとも。「あいつから何か聞いた? その、俺のこと。」 「私が好きって言ったら、ごめん、好きな奴いるって言われて、涼矢くんのこと?って聞いて、そしたら、ただ笑ってた。私、しつこく聞いたよ。涼矢くんのことだよね?って。嫌な女でしょ?」千佳は目を伏せる。「はっきり聞かされないと諦めつかない気がして。でも、哲ちゃん、結局涼矢くんの名前は出さなかった。出さなかったけど、何度も振られてて、それでも好きなんだって言ってた。じゃあ私も、哲ちゃんに何度も振られることにするって言ったら、それはやめたほうがいいよ、だって。ふざけんなって思っちゃうよ、自分のことは棚に上げてさ。」千佳は顔を上げたが、涼矢のことは見ない。視線の置き所に困ったようにチラチラと周りを見て、最後にはカフェテリアの食器返却口などという、無意味な場所に落ち着いた。「そうこうしてるうちに留学よ。一人だけ逃げて、ずるいったら。」 「それでもまだ好きなのか?」 「……好きだねえ、うん。」千佳はうんうんと芝居がかった動きで頷いた。その動きが止まると、「ばっかみたい。」と呟いた。 「馬鹿みたいだ、って俺も思ってたよ。」涼矢が静かにそう言うと、千佳はようやく涼矢に焦点を合わせる。「俺のことなんか好きになるはずないのにな、って。」 「和樹くんのこと?」 「うん。」 「それって、私も哲ちゃんのこと諦めるなって話?」 「……いや。諦めたほうがいい。」千佳がこの先どんなに哲を想っても、報われることはないだろう。  千佳は吹き出した。「ほーんと、涼矢くんのそういうとこ、好きだよ。今の流れで言ったらさ、普通、諦めるな、頑張れ、でしょ?」 「そうか。」 「でも、分かるよ。哲ちゃんがもし、万が一、女の子とつきあえるとしても、その相手が私だとしても、きっと私には扱いきれない。」 「あいつは一筋縄じゃないからな。」 「そう。そして、私は、そのことに勝手に傷つく。うまく行きっこない。なんて、酸っぱい葡萄かな?」 「千佳にはもっといい奴がいるよ。」つまらないセリフだ、と涼矢は思う。  それでも千佳は笑顔を見せて、「うん、次の恋だね。」とサムアップをしてみせた。

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