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第830話 Smile!!(5)

 何故よりによって哲なんか好きになるんだろう、と涼矢は思う。哲自身は言っていた。千佳は、千佳を絶対に好きにならない安全圏の男だからこそ、自分を選んだのだと。こうして千佳と話していると、その通りかもしれないと思う。失恋の痛手を語りながらも、それを語る相手は「その恋のライバル」だ。どこか他人事のような、自身は渦中にいないかのような態度に思える。俳優とアイドル歌手の熱愛報道を目にした互いのファンが、失恋を嘆きあうといった印象だ。  銀婚式の衣装の相談をするはずが結局千佳の恋談義になったものの、レンタルドレス店という自分にはなかった選択肢を得た。とりあえずはそれで良しとすることにして、涼矢は千佳と別れて家路につこうとした。 「田崎。」  背後から呼ばれると同時に、肩を叩かれた。そんな風に他人に触られるのは苦手で、つい睨みつける視線で振り向いた。 「おっと、悪い。」相手は慌てて手を離した。高村だった。そうと分かれば、睨みつけて悪かった、とは微塵も思わない。  何か用。それすらも言わずに、涼矢は元の向きに戻って歩き出す。慌てて高村が追いかけてきた。「そうつんけんするなよ。謝るから。」 「必要ない。」 「謝らせてよ。」小太りの体を重そうに揺すって追いかけてくる。それではまるでこちらが悪者のようで気にくわない。仕方なく涼矢は足を止めた。 「何を?」 「えっと、その、俺、あんまそういう、える、LGBTの人のこととか、そういうのよく分かんなくて。悪気があって言ったんじゃないんだ。」 「悪気がないなら致命的だな。」 「でもあの、依田さんと河合さんに事情も聞いて、怒られて、言っちゃいけないことだったんだってのは分かったから。」 「それは良かった。」ニコリともせず、涼矢は再び歩き出す。 「田崎。」高村が涼矢の腕をつかんだので、涼矢は反射的に思い切りその手を振り払った。「そ、それはどうなのかな。謝ろうとしてる人間にそういう態度も、よ、よくないと思うけど?」 「謝らなくていいから、俺の前をウロチョロすんな。」  高村の顔色は赤くなったり青くなったりしている。そして今は、最高潮に赤くなっていて、目が血走っていた。「聞いたぞ。おまえら、年末にお揃いのピアスしていちゃいちゃしてたんだってな。そんな風に自分でアピールしてるくせに、なんなんだよ、その態度。みんなに言ってやるからな。」 「みんなに何を言うって? つか、みんなって誰だよ。」 「英司とか、宮野とか。」  こいつに教えたのはその二人か、と涼矢はあたりをつける。いかにも口が軽そうで、かつ、その場の流れによって意見も態度も変えそうな二人だ。 「それから?」 「他にもいたんだろ、津々井とか、あと、えっと。」 「いたよ。適当に声かけあって集まって、クラスとか部活とか関係なく来てたよ。でも、おまえは誘われなかったんだな? 気持ち悪いホモカップルでさえ呼ばれてたのに。」 「なんだと、おい。ひ、人が折角謝ろうと。」 「だから、いいって。それよりおまえ口臭いよ。歯医者で診てもらえ。じゃあな。」  そう言い捨ててその場を離れる涼矢を、さすがにもう追いかけてはこなかった。 ――え、口が臭いって言ったの? マジで?  和樹は笑いをこらえながら言った。 「ああ。だって本当に臭かった。」 ――涼矢くん、きっついなあ。 「俺のほうが被害者だし。」 ――まあな。でも一応、謝ろうとはしてたんだろ? 「どうせ千佳と響子になんか言われて、彼女たちに嫌われたくない一心だよ。」 ――でも、謝らせてもやらなかったわけだ。 「謝らせたほうが良かった?」 ――いや。これについてはおまえに賛成。 「……へえ。」 ――なんだよ? 「和樹のことだから、謝ってきたなら許してやればいいのにって言うと思った。」 ――俺、そこまでお人好しじゃないよ。 「そうかな。」 ――俺をなんだと思ってんの。 「哲の見送りまでしてやるんだから相当お人好しだと思ってる。」 ――あれは…… 「俺の友達だから?」 ――そうだよ。 「高村は違う?」 ――違うだろ。それに、単純に俺、あいつのこと嫌いだし。 「珍しく気が合ったな。」 ――珍しく、ってなんだよ。 「和樹は言わないじゃない? 誰かのこと嫌いとか。」 ――そうか? 言ってなかったか、哲のこと嫌いだって。 「おまえは嫌いな奴のためでも頑張れるんだもんな。」 ――高村のためには頑張らないよ。  でも、もし彼が目の前で怪我をして血を流していたら、和樹はやはり助けるのだろう。涼矢はそんなことを思う。そして、今、高村に対してだけはいつになく嫌悪感を露わにしていることの一因は、彼が傷つけた相手が「俺」だからなんだろう、と思った。

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