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第12話 待ち人来る(1)

 そんなことがあって、和樹はなんとなく「いつ涼矢が来てもいいように」空けておいた夏休みの予定を見直さざるを得なかった。前々から落ち着いたらアルバイトをしようとは思っていたが、具体的に動き始めたのは、涼矢とのこんなやりとりが発端だ。  ネットのアルバイト情報や、店頭の貼り紙などもチェックしたが、最終的に決めたのは大学の学生課で見つけた求人情報だった。  ちょうど涼矢が免許取得のための合宿でいない期間の10日間の、子供向け短期水泳教室のコーチ補助。水泳部出身の自分にはうってつけだと思った。報酬も比較的良かったし、自宅からもそう遠くない。初めてのアルバイトだから、短期で終わる、という点も気が楽でいい。水泳歴を添えて申し込むと、すんなりと採用された。  和樹が担当したのは、主に小学生の初心者クラスだった。水に顔をつけるのすら怖くてできないという子もいたし、できるほうでも、けのびで数メートル進む、というレベル。ただ、その「けのび数メートル」の子は、水への恐怖心はなさそうで、単に今まで泳ぐ機会がなかったというだけのようだった。聞けば、水泳授業のない小学校なのだとか。幼児期からスイミングスクールに通い、小学校以降はプール授業こそ自分の見せ場とばかりに育ってきた和樹にとって、水泳授業がない学校があることが衝撃だった。気づけば、低学年中心の初心者クラスの中にあって、6年生は3人だけ、そしてその3人ともが同じ小学校、そして来春には同じ中学校に進学するという面子だった。 「中学には水泳があるんだよ。」 「だから、ママが泳げるようになっておかないと大変だって。」 「僕もそう言われた。」  ああ、それでここに来てるのか。和樹は中学校で恥をかかないようにと、親に放り込まれたこの3人を、贔屓とまでは言わないが、なんとか形にしてやろうと躍起になった。  それに応えるように、3人は見る見る上達した。特に男子の1人は最終日には25メートル泳げるようになり、和樹もことのほか嬉しく思った。他の2人も15メートル程度は泳げるようになった。すべての日程を終えた時、6年生組の1人の女の子が、引き続きこのスイミングスクールに通いたいとまで言い出して、そんなに水泳好きになってくれたのならコーチ冥利に尽きるとホクホクした和樹だが、彼女は続けてこう言ったのだった。 「カズキっちのクラスに入るにはどうしたらいいの?」  彼女は勝手に和樹にそんなあだ名をつけては、何かと話しかけてきていたから、好意を持たれていることは和樹も分かっていた。しかし、そうだとしても相手は所詮小学6年生の女の子だ。ああハイハイと受け流していた。その時も同じだった。 「うーん、俺ねぇ、この短期教室だけのバイトなんだよね。普段は大学あるからさ。」 「えー、これ終わったらカズキっちいないのぉ? カズキっちのクラスがいいのにぃ!」  俺だけではなく「水泳にも」興味を持ったんじゃなくて、興味があるのは俺だけかよ。和樹は少し残念に思った。女の子に興味を持たれてガッカリするなんて、贅沢な話だけどな。和樹はそれでもやはり適当にかわすしかなかった。  この女の子も顔は可愛いけどさ、やっぱあの、黙々と練習して25メートル泳げるようになったあっちの男の子のほうが、コーチ的には可愛いってのが本音だな。  和樹は近くにいたその男子のほうに視線を向けると、向こうも和樹を見ていたようで、目が合った。彼は恥ずかしそうにぺこりと頭を下げた。「あ、ありがとうございました。泳げるようになって、あの、すごく嬉しかったです。」と呟くように言った。最後のほうの声なんか今にも消え入りそうだ。やべ、こいつ可愛いな。あ、変な意味じゃなくて。 「すげえよ、おまえ。こんな短期間で25メートル泳げるようになるなんてさ。よく頑張ったな。」  和樹はその子の頭を撫でた。男の子は顔を真っ赤にして照れつつ、嬉しそうに笑っていた。  和樹はバイトのことは涼矢には内緒にしていた。ピアスや誕生日のプレゼントをちょっと高級なものにして驚かせたい気持ちもあったし、自分よりよほど裕福な涼矢にバイトしたと言ったら、余計な気を使わせてしまう気がしたからだ。  でも、こどもたちに水泳を教えた経験はなかなか楽しくて、会った時にはさらりとその話をしてやろうと思ったりもした。  そんなことを考えていると、涼矢から電話がかかってきた。無事に免許が取れたという報告だ。

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