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第833話 Smile!!(8)

「なんでそこまで動揺すんの。さては掃除してないな。」 ――そうじゃねえよ、意外な展開に追いついてねえんだよ。 「恋人に会いに来てと言われたから会いに行くだけでしょ。」 ――うわあ、何それかっこいい。 「いいから早くスケジュール調べて、連絡くれ。」 ――ん。  和樹は挨拶もそこそこに電話を切った。  スマホに登録してあるスケジュールを眺める。講義はあるが、土曜午前の1コマだけだ。バイトがないことは分かっていた。本来は日曜日に模試の監督をするシフトが組まれそうなところだったが、それはシフト希望の時点で断ってあった。学祭本番が次の週末に迫っている今週、いよいよ忙しくなるからいつでも対応できるように予定を調整しておけと、鈴木や彩乃から釘を刺されていたからだ。やっぱり予定ができて動けないなどと言えば、どんな叱責を受けるか分かったものではない。特に彩乃に。 ――仮病でも使うしかねえな。  和樹はぼんやりとそう考える。おそらくその嘘は簡単に見破られることだろう。でも、四六時中一緒にいられる鈴木と彩乃と違い、自分にとっては滅多にないチャンスなのだ。このぐらい大目に見て欲しいと思ってしまう。 ――今回は結構頑張ったしな。  そう自己弁護もしてみる。このところはバイトのない日はもちろん、ある日でもギリギリまであれこれと動き回った。去年とは大違いだ。最近は和樹よりも渡辺のほうがよっぽど不在のことが多い。やれインターンだ、資格取得の特別講座だと、早くも就活戦線に繰り出しているらしい。 ――講義より、就活より、サークル活動より、恋愛優先かぁ。  恋愛重視の自分を認めたくないけれど、かといって涼矢に「やっぱり来るな」とは言いたくなかった。頭を占めるのは、彩乃や鈴木への言い訳ばかりだ。  それと。  掃除をしていないのだろう、という涼矢の軽口。涼矢は単純なからかいの意味で言ったに違いなかったが、それを聞いた瞬間、和樹は人知れず冷や汗をかく思いだった。掃除が行き届いていないのも事実だが、それは今日に始まったことではない。涼矢が見知っているいつもの状態と変わらない。問題は、「新たに増えたある物品」だ。  和樹は無意識に「それ」がある場所に視線を送った。ベッドの下。そこには捨て時を見失った雑誌類と、それからローションやコンドーム、涼矢から送られた例のアナルプラグを収めた箱が押し込んである。そして、今和樹の脳裏にある「それ」はその箱の手前にある。まだ開封していないから、完全にはしまっていないのだが、じきに「それ」もその箱に収納するはずのものだった。 ――いや、「あれ」はやっぱ、衣装ケースの奥とか、もっと目立たないところのほうがいいか。  和樹は今度は洋服の入ったケースを見る。 ――それとも、洗面所の下の棚も半分以上空いてるはずだから、あそこでもいいか。  その棚は今いる場所からは見えない。とにかく、涼矢や恵が急に訪問してきて、留守中に勝手に掃除をしたとしても、安易に見つかるような場所ではだめなのだ。  和樹はのっそりと動き、「それ」を手にする。昨日ネットで注文したばかりで、今日届くとは思わなかった。涼矢のようにネット通販のヘビーユーザーではないから、こういった商品は中身がバレないように品名や発送元は無難な表記になっていることも知らなかった。 ――自分用のバイブなんか買う日が来るとは思わなかったよなあ。  スイッチを入れると、モーター音がした。切り替えると振動の強さが変わる。別のスイッチを押すと動きに回転が加わった。動作確認終了、と心の中で呟いて、和樹は「それ」を例の箱に押し込んだ。  本当は、今のが「動作確認」でないことは分かっている。それを実際に「使って」みないことには。  だが、その前に涼矢にスケジュールの連絡をすべきだろう。あとは、明日から鈴木や彩乃の前では少しばかり風邪気味の演技をしたほうがいいかもしれない。そして土曜の午後には、ちょっと熱っぽいから来週の学祭本番に備えて大事を取るよと訴えて退散し、日曜日はまるごとサボるのだ。  そうしてもぎとる予定の二人で過ごす週末の晩、涼矢が「それ」を使うかどうかは分からない。いや、こんなものを持っていると知れば確実に使うだろう。だがあくまでも「自分用」に買ったものだ。本来、涼矢がいるなら必要ないものだ。「それ」は涼矢の代用品、なのだから。 ――大体、どんな顔して言えばいいんだよ。こんなもん買ったって。  和樹は頭を抱えた。悩んだ末に、いったんしまった箱から「それ」を取り出して、改めて洗面所の棚に隠し直した。  それから深呼吸をひとつすると、涼矢に電話をかけた。電話代を気にした涼矢がかけ直そうかと言うのを制して、週末は予定を調整したから大丈夫だ、土曜の午後ならいつでもいいから来い、とだけ伝えた。長話をすればボロが出そうだと思い、それじゃあ明日の準備があるからと早々に切った。

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