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第836話 Smile!!(11)

――悪くないけど、本当に? 自分で使うために? 「うっせえな、そうだよ。」 ――うっわ、マジか。 「おまえに言うつもりなかったけど、ちゃんと言ったからな。それで許せ。」 ――俺に内緒で使うつもりだったんだ? 「うるせえって。」 ――なんだよそれ、めっちゃそそる。それでどうだったの。  前のめりな口調からして明らかに涼矢の機嫌は直っていたが、和樹としては、より大きな問題が新たに発生した状況だった。今度こそ「解決策」など思い浮かばない。 「だから、さっき初めて使ったっつの。使ったっつっても、ちょっとしか。先っぽしか。」 ――それであんなになっちゃうの? それは逆にちょっとショックだな。俺の時より反応良いんじゃないの? 「馬鹿、そんなわけあるか。馴れてないから妙な気分になっただけ。」 ――それ、俺のフォローしてくれてるつもり? 「つもりじゃなくて、そうなんだから。」 ――ふうん。 「なんだよ。」 ――土曜日、楽しみにしてる。 「おまえがいるならそんなもん使う必要ねえっつの。」 ――なんでもするんだろ? 「……。」  予想通りだ。これの存在を知れば涼矢は必ずや"悪用"しようとするだろう。確信と言えるほどにそう予想していたというのに、何故、回避できなかったのか。その場しのぎの言葉で、涼矢の批難の矛先を変えようとした自分の安直さが招いたことではあるのだが。それ以外の何物でもないのだが。 ――会いたくなくなった?  否定を前提とした問いかけをする涼矢。 「そんなわけない、だろ。」  和樹は素直にそう言った。今までなら売り文句に買い言葉で、本音とは裏腹に、ああ来なくて結構、とでも言ってしまったかもしれなかった。でも、今は言いたくなかった。好きなら好きと、会いたいなら会いたいと、偽りなく言わないといけない気がした。 ――良かった。ま、嫌だと言っても、会いに行くけどね。  軽い冗談のように涼矢は言うが、それは本心のはずだった。涼矢はいつだってそうなのだ。思ってもいないことを口にして、相手の反応をうかがうようなことはしない。ましてやその反応によって意見や態度を都合よく変えることもしない。涼矢に言わせれば、そもそも涼矢が和樹に好意を寄せた理由のひとつには「人によって態度を変えないところ」があったようだが、和樹から見れば、自分のような八方美人よりもよほど「公正」で「誠実」な振舞いをしているように思える。その誠実さにできるだけ報いたいと思う。そう思っているのに、さっきみたいに、つい、小手先で誤魔化そうとして失敗してしまう。  だから和樹は「うん。待ってる。」と伝えた。今度こそ間違えないように。 ――シーツ洗って、な?  涼矢が笑ったので、和樹も安心して笑った。  翌日から和樹は計画通りにことを進め、案の定彩乃に皮肉を言われながらも、土日のサークル活動を欠席する段取りをつけた。久々に部室にやってきた渡辺が「その分、俺に任せてよ。」と胸を張った。「最近なかなか顔出せなかったしさ、なんでも言って。」  渡辺のおかげで彩乃の機嫌も多少持ち直したところで、和樹がバイトを理由に早めに切り上げるのと同時に、渡辺も買い出しに行くことになり、短い距離だが二人一緒に歩くことになった。 「で、ほんとの理由は何。田崎氏?」と、周りに誰もいなくなったタイミングで渡辺が言う。 「ご名答。……鈴木たちには言うなよ?」 「言わないよ。俺もだいぶサボっちゃったしね。」 「インターン、どうだった?」 「うん、春にも行ったところだからね、知ってる人ばかりだし、気楽なもんだよ。」 「でも一般企業は行かないんだろ?」  渡辺は地方公務員を第一志望にしているはずだった。 「たぶんね。でも、カードはたくさん持っておくに越したことはないし。」 「すげえな。」 「都倉は、教員一本?」 「んー、まだ決めてない。」 「もう二年も後半だろ。あっという間だぞ。」 「だよな。」 「就職は地元?」 「や、東京。」  はっきりと口にした割には初めての宣言だった。たぶんそうなるだろうとは思っていたし、母親もそのつもりでいたようだが、明確な意志を持ってそうと決めたわけではなかった。だが、涼矢と一緒に暮らすことを考えるなら、しがらみの多い地元よりは東京のほうがいいだろう。 「就職口が多いから?」 「うん、それもある。けど、選ばなければ地元だってあるにはある。一応政令指定都市だぞ。」  和樹は自嘲気味に言った。当然東京のほうが企業は桁違いに多い。だが人口だって多くて、ライバルも多い。行きたいと思う企業は他の誰かもそう思っていて、結局どこだって狭き門だ。 「それもあるけど、他の理由もあるってことだな?」渡辺はニヤリとした。

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