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第837話 Smile!!(12)
「そっちのほうがメイン。」和樹は淡々と答える。
「はいはい、お熱いこって。」渡辺は和樹が期待していたような反応を示さなかったことに、拍子抜けした表情だ。それから今度は、少し緊張した面持ちになる。「なあ、でもさ、それって怖くね?」
「何が?」
「んーとさ、それが彼女だったら、一生が決まっちゃうかもしれないわけじゃん?」
「同棲のこと?」
「そう。わざわざ田舎から呼び寄せるって、それが女の子だったら、もう、プロポーズじゃん。責任問題だよ?」
「別にいいけど。」
「いいんだ?」
「いいよ。そういう約束してるし。」
渡辺の歩く速度が極端に落ちる。立ち止まる寸前だ。「そこまで?」
「うん。あ、でも、卒業してすぐは一緒には暮らさないかも。」
「遠恋続行?」
「いや、あいつも東京には出てくると思うけど、自分が就職するまでは一緒に暮らすのは嫌だって言うから。ほら、あっちは、司法試験もあるし、修習生とかなんとか? いろいろ時間かかるみたいで、まともに落ち着くまでお預けくらうことになりそう。」
「そっか、弁護士志望なんだっけか。それは先が長そうだなあ。でも司法試験なんて正直いつまでかかるか分かんないし、別々に暮らしたら金も余分にかかるだろう? もったいなくね?」
「俺が就職して働いてるってのに、それと同じ部屋で自分は勉強の身、って環境は嫌みたい。」
「なるほど、田崎氏のプライドってやつですか。」
「うん。俺は別に構わないんだけどさ、本人がそう言ってるのを無理強いするのもね。」
「やっぱそこは女の子とは違うんだなあ。……なんて言ったら川崎さんに怒られるかな。」
「絶対怒られる。」和樹は苦笑した。
「彼女、実際仕事できるしな。家庭に収まってるタイプじゃない。」
「なんでそう思う?」
「サークルの仕事の仕方を見てたら分かる。見た目がああだから人前で派手な仕事しそうに思ってたけど、意外と裏方が向いてる。」
「人前で派手な仕事と言ったら、舞子ちゃんのほうか。アナウンサーの学校行ってるんだろ。」
「ああ、彼女ね。彼女も頑張ってるよねえ。ダブルスクールして、キャバでバイトしてそのアナウンススクール代を捻出してるんだもんな。……あ、やべ。」そこまで言って渡辺は今度こそ立ち止まる。バツの悪そうな顔で和樹を見た。「おまえこの話、知らなかったよな? これオフレコな。」
渡辺の言うように、和樹の知らない情報だった。おそらくは彩乃から鈴木、鈴木から渡辺と言う経路で聞いたのだろう。舞子がキャバクラでアルバイトをしていようがどうでもいいことではあるが、サークルにろくに顔を出していなかったはずの渡辺のほうが情報通であることには、一抹の焦りを覚えた。人付き合いも就活も自分だけが取り残されている気分になる。
渡辺が再び歩き出すのに合わせて和樹も歩いたが、もうこれといった話題はしなかった。明日は少し冷えるらしいとか、そんな話だ。
「都倉はこの後バイトだろ? 頑張れよ。」二人の分かれ道まで来て、渡辺が言った。励ましの言葉なのに白々しく聞こえてしまう。涼矢の家ほど金持ちではないかもしれないが、都内の一軒家で衣食住に不自由することなく暮らし、小遣い欲しさのバイトなら月に二回ほどすれば事足りるという渡辺に、自分の気持ちは分からないだろうと思う。
渡辺と別れて駅に向かい、電車に乗り、バイト先の駅で降りる。夕方の五時過ぎ、帰りのラッシュにはまだ早くて、電車も駅も混んではいない。だが、地元のローカル線だったらこれでも充分に「混んでいる」と思う程度には人数が行きかっている。
こんな風にたくさんの見知らぬ人が行きかう街のほうが、涼矢は安心するんだろう、と思う。
その涼矢が和樹の部屋に一番近いコインパーキングに到着したのは、土曜日の午後、そろそろ日が落ちるといった時間帯のことだった。
「長旅、お疲れさん。」わざわざアパートからここまで迎えに出てきた和樹が言う。
「部屋で待っててくれてよかったのに。」
「暇だし。」
「そこは一刻も早く会いたかった、じゃないの。」
「そうとも言う。」
「可愛いんだか素直じゃないんだか。」涼矢は笑いつつも周囲をうかがい、誰もいないことを確認して和樹の頬に手を当てた。「ただいま。」
「ん、おかえり。」くすぐったそうに和樹は笑う。涼矢はそれを見ると安心したように頷いて、手を離す。
「こっちのほうがあったかい気がする。」そんなことを言いながら、涼矢は歩き出した。それに並んで、和樹も歩く。
「向こう出る時は寒かった?」
「ちょっと肌寒いかなってくらい。だから。」涼矢はニットのカーディガンを羽織っていた。
「もう十月ですからねえ。」和樹はふざけて老人の声色で言う。
「あ、そうだ。コタツ、買った?」
「買ってないよ。置き場所ないって。」
「一人用のコタツならそんなに大きくないよ。」
「へえ、一人用でいいんだ?」
「あ、なんかやらしいこと考えてるな?」
「おまえじゃないっての。」
「こっちのセリフ。」
そんなことを言いあっているうちに、部屋にたどりついた。
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