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第19話 待ち人来る(8)

「荷物、これで全部? 持つか?」 「大丈夫だよ。」涼矢は笑った。「なんだか海外にでも行けそうな荷物の量になっちゃった。」 「2週間分だもんな。2週間ありゃ、余裕で海外行けるよな。」 「2週間と2日分。」その「2日分」はエミリの上を行くための2日間。 「まっすぐ俺んちでいいの?」  涼矢はうなずいた。  和樹は、無言で涼矢のキャリーケースの持ち手を握り、涼矢から半ば奪い取るようにキャリーケースを運び始めた。持ち手を握る時、和樹の手が涼矢の手に触れると、涼矢が弾かれたように手を離したので、危うくキャリーケースが倒れるところだった。すんでのところで和樹が支えて、倒れずに済んだ。 「いいって、自分で。」 「俺、手ぶらだから。」  涼矢はそれ以上何も言わず、2人は歩き始めた。「中央線乗り場まで、少し、歩くよ。」 「うん。」  やがて中央線ホームに立つ。 「西荻窪ってさ、平日は快速止まるんだけど、休日運転だと止まらねえの。最初の頃はそれわかんなくって、何度も吉祥寺とか中野とかまで行っちゃって。」 「あ、吉祥寺は聞いたことある。」 「隣の駅だよ。」 「中野は、サンプラザホールがあるとこ?」 「そうそう。今日は中野で各停に乗り換える。」 「すっかり都会っ子になっちゃって……。」 「今のとこ、そのへんしかわかんないけどな。銀座や六本木はまだ未知の世界。渋谷は大学の友達と何回か行ったけど、1人で目的地に着ける自信はまったくないな。」 「毎日がまつりやんな。」 「そうだなも。東京は怖ぇとこだど。」 「だから、どこの人だよ。」  そんな話をしていた30分後には、2人は和樹のアパートの前に立っていた。  3階建てアパートの2階。 「一番奥の部屋。」和樹が先導して歩く。鍵を差しこんでガチャガチャさせながら説明する。「東南の角部屋だから朝日が見えるかも、なんて言ってたけどさ。2階だからね、実のところ全然見えない。しかもほら、そっちの道路に街灯があって、それが眩しいったら。遮光カーテンにしたよ。」 「ふうん。」涼矢は、あまり興味なさそうな相槌を打った。 「では、どうぞおあがりくださいませ。」2人が並ぶスペースもない玄関なので、いちはやく部屋に入る和樹。キャリーケースもためらいなく室内まで引きずって入れた。 「お邪魔、します。」遠慮がちに涼矢は狭い玄関に立つ。和樹の脱ぎ散らかしたスニーカーが2足転がっているだけで、もうスペースはほとんどない。涼矢は壁に手をついて靴を脱ぐ。 「それ、横にすると鍵かかるから。」和樹は涼矢にドアノブのロックをするように指示をした。涼矢は無言でそうする。和樹は少し前からなんだか違和感を覚えていたが、この時その正体がようやく分かった。  涼矢が全然目を合わせようとしないのだ。偶然かと思ったけれど、そうでもなさそうだ。電車で隣り合っていた時には、それなりに会話も弾んだのに、今では受け答えもひどく無愛想だ。ああ、電車の中では「隣り合っていた」から、やっぱり目は合ってはいなかったのか。  涼矢が部屋に上がった。  和樹の予想では、部屋に入るや否や、2人は熱烈なハグをして、キスの雨を降らせるはずだった。だが、何も起きなかった。涼矢はボーッと突っ立っている。 「あ、適当に座って。つっても、場所ねえけど。ベッドに座ってもいいし。あ、なんか飲む? けど、何にもないや、すぐそこに自販機あるから、買ってくる。何が良い?」涼矢の様子に和樹はなんとも落ち着けず、無駄に饒舌になった。 「……ない。」 「えっ? 何? 良く聞こえなかった。」 「要らない。新幹線で買ったやつ、まだあるし。」涼矢はそんな言葉もまた、和樹のほうを見ないで言った。 「ねえ。」 「ん?」 「なんでこっち見ないの。」  涼矢はやっと和樹を見た。しかし、すぐにまた視線を床に落とす。 「なあ。」和樹は涼矢の手首をつかんだ。「どうした?」 「緊張……。」 「え?」 「緊張、して……。」 「……なんで?」 「和樹が、いるから。」  気付けば、握った手首は小刻みに震えている。「なんで、今更?」和樹はその手首をひっぱって、涼矢を抱き寄せた。「そりゃ、いるよ。そのために来てくれたんだろ?」 「うわ……。」涼矢は小さく呟いた。抱き返しては来ない。「VRじゃないよね?」 「馬鹿、現実だよ。」和樹は棒立ちする涼矢の頬に手をあてた。それから、キスをした。「な?」  涼矢は赤面して、身を引くと、何故か「座る。」と宣言してから、ベッドに座った。「立ちくらみしそうだ。」と言い、深呼吸をした。 「いくらなんでも、緊張、しすぎじゃない?」和樹は笑った。そして、涼矢が斜めがけにしたままのショルダーバッグを肩から抜いて、部屋の隅に置いた。 「そうだ、このまま、この間言ったサ店行こうか。すぐ近所だから。」

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