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第21話 待ち人来る(10)

 そうこうしているうちに、先客のうちの1組が会計をして出て行った。 「テーブル席に移られますか?」と聞かれたが、このままでいい、と和樹は言った。マスターとの会話を涼矢も楽しんでいるようだし、たとえ自分がその会話の相手でないとしても、涼矢の話す声を聞いていたかった。  和樹と涼矢の料理は、見事に同時に出来上がった。 「サンドイッチ、1個ちょうだい。グラタン、少しあげるから。」と和樹が言った。 「シェアするの嫌いじゃなかったっけ。」和樹は以前、女の子とのデートの不満点として、「食べ物をやたらとシェアしたがる」を挙げていた。 「だって、それ、超美味しそう。」 「別にいいけどさ。」涼矢がそう言うと、カウンターの内側から小皿とフォークが出てきた。 「お取り分けにどうぞ。」 「あ、すいません。」和樹はそれを受け取って、グラタンの4分の1を取り分けた。引き換えに4ブロックに切り分けられているクラブハウスサンドイッチのひとつをもらう。  食べ終わるのもほぼ同時だった。和樹は熱々のグラタンを冷ましながら食べ進めていたので、通常よりも時間がかかっていたのだが、それでもほぼ同時に終わったのは、きっと涼矢が食べるペースを合わせてくれていたからだ。考えてみれば、一緒に食事をする時はいつも同時に食べ終わる。本来、涼矢は大食いだが、早食いでもある。バイキング形式のレストランで、和樹の倍ほども食べても終わるタイミングは同じだし、ラーメン店や牛丼店で涼矢が大盛で和樹が並盛でも、ほぼ同時に食べ終わる。そんな涼矢が、いつもより時間をかけて食べている和樹と同時に食べ終わるということは、つまり、そういうことなのだ。  エビグラタンもクラブハウスサンドイッチも、どちらも美味しかった。一見した時には足りないかなと思ったけれど、食べ終わると充分な満足感があった。こういった場合の満足感というのは、気分的なものも多分に影響しているのだろう。 「こちら、アイスコーヒーです。」和樹の前にグラスが置かれた。次に涼矢の前にブレンドが。「ブレンドです。うちの普段のブレンドをアレンジして、少し酸味を効かせています。ハワイコナがお好きと伺ったので。」  涼矢はカップを手にして、一口飲んだ。「美味しい。」そして、もう一口。「すごく、美味しいです。」 「良かったです。これ、ハワイコナは入ってないです。もっと安い、どこでも買える豆ばかりです。でも、そんなに悪くないでしょう? 柔らかい酸味も、結構コナに近くて。」 「そうなんですか。何が入ってるのかな……。」 「ブレンドした内容、書きましょうか?」 「秘伝じゃないんですか? レシピ代、高そうで怖いな。」と涼矢が冗談交じりに言うと、 「そんなに気に入っていただけたなら、今度からメニューに入れましょうかね。お客様のお名前をうかがっても?」 「涼矢、です。」 「では、リョウヤスペシャルですね、そう言ってもらえれば、次もまたこれ淹れます。ああ、でも他のメニューも試してもらいたいけどね。」マスターは茶目っ気たっぷりな笑顔で答えた。しばらくして、更に2人の前にそれぞれデミタスカップが出てきた。「これはサービス。モーニング用に出しているブレンドです。モーニングの時は、すっきり爽やかな味のブレンドにしてます。こちらのお客様のお気に召したようだから、こちらもどうぞ、良かったら味見してみて。」  涼矢は「涼矢スペシャル」のカップを和樹の前に移動させ、自分はデミタスカップを口元に持って行った。どうやらこれもそれぞれシェアして味見しようということらしい。  コーヒーの味の差など大して分からない和樹だが、こうして2種立て続けに飲んでみれば、さすがにそれぞれが違う香り、違う味わいだということは分かる。「うーん。俺はやっぱりモーニングのブレンドのほうが好きかも。詳しくないからどう言えば良いかわからないけど、癖がなくて、安心して飲める。」 「ええ、まさにそうです。コーヒーの個性という点では主張は弱いかもしれませんが、どなたにも安心して飲んでいただけて、気持ちよく一日をスタートできる。そういう味を目指してます。」マスターは和樹に向かっても、そんなことを言った。渋くて無口なマスターかと思いきや、少なくともコーヒーに関しては話好きのようだ。そんな会話をしながらも、客は入れ替わり立ち代わりで休みなく動いているのだけれど、やはり慌ただしさは感じさせない。 「お忙しい時間帯に、すみませんでした。お会計お願いします。」と涼矢が言うと、 「とんでもない。私も楽しかったですよ、若い方とお話が出来て。是非またお立ち寄りください。」と、マスターは柔和な頬笑みを浮かべながら言った。 「もういいの?」和樹はその瞬間まで、楽しそうにマスターと話す涼矢の横顔をずっと眺めていた。そっちとばかり話すなよ、俺の相手しろ……などとは少しも思わなかった。涼矢に気に入ってもらえそうと思った店が、思った以上に涼矢の琴線に触れたらしいことが、何より嬉しかった。  会計の時、マスターは本当に「涼矢スペシャル」の、豆の種類と配分をメモした紙を涼矢にくれた。  和樹が支払おうとすると、それより早く涼矢が財布を出した。涼矢の財布は、てっきり部屋に置いてこさせたショルダーバッグの中かと思っていたが、違ったようだ。 「俺が。」 「涼矢スペシャルだぞ。俺だろ。」  レジ前でのこんなやりとりを長引かせるのは、おばさんのやることだ。そう思った和樹は、ひとまず財布を引っ込めた。

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