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第843話 fall in love(2)
「いいから、何か食お。」和樹は起き上がる。
「そうだった。」無意識に腰をさする和樹を見て、涼矢は「休んでなよ。作るから。」と言った。
「おまえだって疲れてるだろ。」
「簡単なものにする。パスタある?」
「いつもの棚のとこにスパゲッティある。」
「じゃあ、それ使わせて。」
「レトルトのパスタソースもあるけど……。おまえは使わないよな。」
「ミートソース?」
「うん。ミートソースとカルボナーラがあったはず。麺と同じとこにあるよ。」
涼矢は戸棚を探り、スパゲティの袋とミートソースを出した。
「あ、使うんだ。珍しい。でもそれ、一袋一人前だよ?」
「これをベースにして、後は適当に入れて増やす。」
「なるほど。」そう言いつつ、作り方を見るでもなく、和樹はベッドにまた横たわる。しばらく涼矢の背中を眺めた後、シャワーしてきていいかと涼矢に尋ねた。聞かれた涼矢のほうがキョトンとする。
「おまえの部屋だろ。そんなの、わざわざ確認しなくたって。」
「おまえが料理してるのに、俺だけ寝てたり、シャワーしたりしてたら悪いかなと思ったの。」
「それはお気遣いありがとう。でも、特に手伝ってもらうこともないし、寝ていようがシャワーだろうが俺のほうは別に……。ま、寝てるよりはシャワーのほうが多少は有意義な時間の使い方って気はするけど。」
「なんでおまえはいちいちそういう言い方するのかな。ひとがせっかく気ぃ使ってんのに。」
「それは。」
「はいはい、気を使えと頼んだつもりはないとか、そういうこと言い出すんだろ。ったく。」
涼矢は調理の手を止めず、和樹に背を向けたまま言う。「そっちはそっちで、面倒くせえ奴だなって言いたいんだろ?」
「俺ら、お互いのこと分かり合ってるねえ?」和樹は着替えを出す。
「そうみたいだな。」
涼矢が振り返ると、和樹はバスルームに向かうべく、涼矢の背後を通り過ぎるところだった。それに気づいた和樹が「じゃ、せいぜいキレイになってきますよ。」と茶化すように言った。
「まだ後半戦が残ってるもんな?」涼矢はニヤリと笑ってそう言うと、再び和樹に背を向けた。
「こっわ。」涼矢の背中に向かって言う。予想通りと言えばそうだが、涼矢があのバイブの存在を忘れていないことにドキドキした。正直なところ、そのドキドキは不安ばかりでもない。
パスタだけの夕食はあっという間に済んだ。その後に控えているものを思うと気もそぞろな和樹だ。
「皿、洗う。」そう宣言して立ち上がってはみたものの、皿が二枚にフォークが二本、コップが二つ。その程度の洗い物もまた、あっと言う間に済んでしまった。
「和樹。」
涼矢がそう声をかけただけで、焦りだす。「ちょっ、まっ、食ったばかりだと、ほら、な、いろいろ。」
「何の話してんだよ。」涼矢はスマホを見ていた。「解散だってさ。」涼矢はバンドの名前を挙げた。和樹の部屋の天井にポスターを貼っていた、そして、お揃いのピアスを提案した涼矢が、そう思いついたきっかけのギタリストが在籍するバンド。
「え、嘘。」和樹は慌てて手を拭いて、涼矢の元にやってきて画面を覗き込んだ。「本当だ。ショック。」
「この間の全国ツアーが解散ツアーか。行っておけばよかったな。」
「ああ、あれな。そう言や、渡辺が彩乃ちゃん誘う口実にして、二人で行ってた。」
「よくチケット取れたね。」
「随分高くついたみたいだけどね。それなのに振られてた。」
「それはかわいそうに。」
涼矢の棒読み口調に、和樹は苦笑する。「全然かわいそうがってないだろ?」
「だって高くついたってことは、転売屋から買ったんだろ? そういうの俺、許せないんで。」
「まあな。それで本当のファンが行けなくなったりするし。」
「解散って知ってたら、俺も頑張ってチケット争奪戦に参加してたかもなあ。」
ふう、と溜息をつく涼矢を見て、和樹が笑った。それに気づいて涼矢が咎めると、和樹は更に笑った。
「おまえ、そのバンドは本当に好きだったんだな?」
「あ?」
「漫画は俺に合わせるために買っただけで、読んでないんだろ? でも、こっちは本当に好きなんだなって。」
「……正直、それも和樹の影響だよ。好きだって聞いたから、俺も試しに聴いてみて、それで。」
「うん、だから余計嬉しい。」
「嬉しい?」
「嬉しいだろ、そりゃ。自分の好きな奴が自分と同じもの好きだったら。しかも自分の影響で好きになってくれたんだったら。」
「……うん。」
去年の夏のことだ。今和樹が言った通りのことを、まさにこの部屋で感じた。理由は忘れたけれど和樹はいなくて、留守番をしていた時だ。暇を持て余して和樹が借りてきた図書館の本を読もうとして、ふとそんなことを思ったのだ。絵に興味のない和樹が、それでも「涼矢の世界」を知りたいと展覧会につきあってくれる。それなのに自分は和樹に対してそういう気持ちを抱くことがなかったのを恥じたものだ。
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