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第848話 fall in love(7)

「今は……。」涼矢の口から無意識の言葉が漏れる。 「今? 今は恋人だろ?」何を今更言っているんだとばかりに、和樹が言う。  涼矢は和樹を抱き締める力を強めた。「やべ、すげえ幸せなんですけど。」 「それは分かったから、もうちょっと力緩めて。」 「やだ。」 「……今日の涼矢くんはイヤイヤ期だな。」  涼矢は和樹の言葉とは反対に、更に強く抱き締めた。  翌朝は、もう朝とも言えない十一時になったところで、和樹が起きた。 「こんな時間か。」  その独り言で涼矢も起きる。「ああ、俺、二度寝しちゃったんだな。八時頃いっぺん起きたんだけど。」 「俺は七時に起きた。」 「なんで自慢気なんだよ。おまえも二度寝したんだろ。」  ハハ、と軽く笑って、和樹は涼矢の頬にキスをする。「おはよ。」 「おそよう。」 「今日は何時の新幹線……って、車か。」 「うん。」 「明日は朝から授業あんの?」 「あるよ。」 「そっか。じゃあそんなに遅くまでは。」 「そうだねえ。」 「ぐったり疲れて、居眠り運転でもして事故られても困るしな。」 「ぐったり疲れるのか。」 「疲れるだろ?」和樹は企むような笑顔だ。 「そっちがだろ。」涼矢は和樹をまたいで、ベッドから降りた。例のごとく、寝ぐせがひどい。それを直すつもりか、洗面所に向かう。 「伸びたね、髪。」ベッドから和樹が言う。その角度からでは洗面所の涼矢の姿は見えないが、昨夜さんざん弄んだ髪だ。 「縛ったほうがいいかな。」声だけが返ってくる。 「どっちかつうと前髪が邪魔そう。カチューシャでもする?」 「それはやだ。」 「デコ出すの、嫌なんだっけか。」 「そう。」 「後で買い物ついでにヘアゴムも買うか。」 「うん。……あ。」 「何?」 「後で。」  その後はドライヤーの音がして会話が途切れた。  結局涼矢の「後で。」の続きは、夕食の買い出しがてらに散歩をし、一番地味な黒いヘアゴムを買って帰宅してからのことだった。  夕食はホットプレートでの餃子だ。前回涼矢と作って以来のホットプレートの出番だった。この部屋に大学の友達を招くこともしていない。 「ミニーのカチューシャの件。」餃子を敷き詰めて蓋をしたところで、涼矢が言い出した。 「お、おう。」 「あれやっぱり使わないと思う。銀婚式。」 「ああ、その話ね。……結局、どうすんの。俺、行ったほうがいいの。」 「うん。」  千佳に言われて、和樹を呼ぶ、という選択肢があることを知った。両親のセレモニーの場に和樹がいてくれる安心感と、和樹がいるからこその不安。涼矢はそのふたつを天秤にかけて、前者を選んだ。和樹にそれを告げれば快諾を得た。そして、更にそこから考えた。和樹をその場に呼ぶことの意味。涼矢にとって、ことは「両親の銀婚式」だけではなくなりつつあった。 「いいよ。クリスマスでも、成人式の時でも。日程だけ早めに決めてくれれば。」 「……春休みでもいいかな。二月の終わりか、三月の頭か。そのあたり。バイト忙しいかもしれないけど。」  和樹は首をかしげる。「あれ、そんな先でいいの? できたら年内にやっちゃいたいぐらいの勢いじゃなかった?」 「和樹が二十歳になってからがいいかなって。成人式だとまだ十九だろ。」和樹の誕生日は二月十四日だ。「そしたら、俺達二人ともちゃんとした成人として、佐江子さんに……親父にも、話せるから。」 「え、話せるって? 何を?」  そう和樹に聞き返されると、うまく説明できなかった。和樹が二十歳になる。そんな区切りに大した意味はない気がしてくる。ただ、十八歳とか、二十歳とか、就職とか、あるいは結婚とか、人の子の親になるとか、「一人前」と見なされる区切りはいくつかあって、そういう節目を追い風にしてしか言えない言葉はあって。  ホットプレートの蓋の隙間からさかんに蒸気が出る。涼矢が蓋が開けると煙幕のようになった。それが落ち着いた頃、涼矢は言った。 「具体的に何を話す、とは決めてないけどさ。……親に向かって、きちんと二人で話したことないだろ。付き合ってることはもちろん知ってるけど、その、将来に向けての。」 「決意的な?」 「そう。覚悟的な……意志表明をね。」 「そっか。」 「当面、何も変わんないけど。遠距離だし、学生だし。」 「うん。」 「とりあえず熱いうちにどうぞ。」涼矢は焼き上がった餃子を示した。  和樹はひとつめの餃子をタレにつけて、口に放り込む。「熱うっ。」 「気を付けて。」 「おせえよ。」和樹は笑った。「……でもま、なんか、分かるよ。」と続ける。 「え?」 「さっきの話。親に決意宣言したいってやつ。」 「悪いな、とは思う。」 「何が?」 「おまえに。」 「どうして?」和樹は二つめの餃子を取る。今度は即座に口に入れるようなことはしない。タレの小皿に置いて冷ます。 「俺の気が楽になるだけだから。」 「……ああ。」和樹は少しだけ冷めた餃子を頬張る。ごくん、と呑み込んだところで続きを言った。「うちの親には言えてないからねえ。」 「だから、和樹が嫌だったら、いいんだ。もっと先でも。……このままでも。」

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