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第849話 fall in love(8)

 和樹はしばらく無言だった。無言のまま餃子を食べ続ける。途中で箸でホットプレートを指し、おまえも食えよ、というジェスチャーをした。涼矢もそれに応じて食べ始める。 ――嫌だとは思わないけれど。  和樹は黙々と食べ続けながら考える。涼矢が回答を急かすようなことはしないのは想定済みだ。 ――お嬢さんと結婚を前提に交際させてください。……男女のカップルなら、そんな挨拶に当たるのか? だとしたら俺がそのセリフを言う立場なのか? それも妙な話だ。第一、交際の「許可」というのが理解できない。今までつきあってきた彼女たちだって、親の許可を得たことなどないし、必要だと思ったこともない。逆に何かと詮索してくる親の存在はうっとうしいだけだった。 「佐江子さんは、どう思うのかな。」和樹が口を開く。 「たぶん、『ああそう、分かった』って言うだけじゃないかな。」 「だよな。俺もそんな気がしてる。でさ、だったらなんでわざわざ改めて挨拶するかって話なんだけど。そもそも決意表明たって、何を言うの?」 「だから、それはまだ決めてない、けど。」 「おまえ、さっき、自分の気が済むだけだって言ったよな。俺はそれでもいいよ。親に男の恋人がいるなんて言えない人はたくさんいるだろうし、どっちかの親だけでも、言えるんだったらそのほうがずっと良いに決まってる。でもさ、その意味では、もう、分かってもらえてるわけじゃない? その上何を分かってもらうの?」  話しながら、自分の頭を整理している。自分の意見もはっきりしていないせいで、涼矢を責める言い方になってしまう。そう感じながらも止まらない。何か言おうとしては口籠る涼矢に追い打ちをかけるように言う。 「就職したら一緒に暮らす約束してて、そんで、一生そうしていくつもりだってこと? 養子縁組とか、パートナーの証明書とか、そういうのも視野に入れてますってこと? それって親に言う必要ある? つか、俺らの間でもそんなにきっちり話してないよね?」  涼矢はホットプレートをオフにする。お互いの手は止まったままで、このままでは餃子が焦げてしまう。 「……いつもと逆だな。」と涼矢が呟いた。 「は?」  涼矢は困ったように眉を下げ、でも口元は笑っていた。「いつもは俺がそうやってネチネチ言ってる。」 「ネチネチなんて。」和樹は反論しかけて、一瞬言葉を詰まらせた。「……言ったな。」今度は和樹が笑う。「本当だ。逆。」 「結構きついな、そんな風に言われるの。」涼矢が苦笑する。 「俺の気持ちが分かったか、コノヤロー。」 「図星だから余計に。」 「おまえだってそうだ。」和樹は小皿に取っていた餃子を今更ながら食べる。「図星っつか、正論つか。おまえの言ってることはいつも正しい。」 「そんな風には思わないけど。」涼矢も箸を伸ばす。  和樹のほうがよほど「正しい」と思う。ただその正しさに向き合うことは時に辛くて、でもそれは、世を拗ねてそこから目を背けてきたツケなのだと思う。  ――いや、そうでもないかな。  涼矢はふいに思った。世を拗ねてきたのは事実だけれど、そうしなければ自分を守れなかったのも事実だ。真正面から迎え撃つ強さがなかったのだ。望まれて生まれてきて、愛情を注がれて育ってきた。それでも自分は(いびつ)な、人として何かが欠落した存在だと思っていた。同性に恋愛感情を抱く、という、ただその一点で。そして、それを肯定してくれる人はいなかった。……いたけれど、その人には死なれてしまった。そんな中でも、多少拗ねようが(はす)に構えていようが、真面目に、誠実に生きてきたつもりだ。その時できたはずのことはしてきたつもりだ。不完全な自分は、せめて誠実に生きることでしか存在を許されない気がしたからだ。人生をやり直せるとしても、きっと同じようにしか生きられない。  かつて佐江子も言っていた。 『私は常に、その時その時に、自分の意志で選んだことをしてきた。ああすれば良かったのかもと思うことはあっても、そうしなかったことを後悔はしてないの。間違ったことをしたと分かっても、やっぱり私はその間違いを何度でも選ぶの。』 ――やっぱり俺はあの人の息子なんだな。  そうして佐江子が正継と出会ったように、自分が和樹と出会ったのだと思った。自分が正論を吐いていると言うなら、その強さを与えてくれたのは和樹にほかならない。  だから。  マスターの奥さん。夏鈴さんと言っただろうか。赤ん坊は小さくて儚くて、それでいてエネルギーの塊で。その命を繋いでゆくことができない罪悪感があると、和樹にこぼしたこともある。自分の子供が持てないことが辛いんじゃない。自分も子供を持つことで、愛されたことへの感謝を親に証明できないことが辛いのだと。 ――だから。

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