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第851話 fall in love(10)
「その問題ならそれぞれの個室があるとこ探せば解決する……だろ? 和樹の言う通りだと思う。」
「言ったけど、無理にとは言わないよ。」
「本当は。」涼矢は和樹に手を伸ばし、抱き寄せた。「今だってもっと近くにいたい。ずっと一緒にいたい。おまえもそう言ってくれてる。なのに、俺だけが別に暮らそうって言ってる。これってわがままじゃない? 俺が意地張ってるだけじゃない?」
「うん。意地っ張りだなあって思ってる。」和樹は涼矢に抱きすくめられたまま言う。「けど俺、おまえのそういうところ、嫌いじゃないんで。」
「それだけじゃない、銀婚式のことも。俺はおまえといられれば幸せなんだって、そう、おふくろたちに言いたくて。俺のほうからちゃんと、あの人たちに、自分は幸せだって言っておきたくて。……でも、それだって俺の自己満足 なんだよな。」
和樹はゆっくり涼矢の腕の中から抜け出した。「風呂場で話す話か? これ。」そう言って部屋の中に戻る。戻りがてらに切った髪のゴミ袋をくるくると内向きに丸めて捨てた。この髪の毛みたいに、涼矢の「余計な考え」など捨ててしまえたらいいのに、などと思う。
涼矢も和樹に続いて部屋に戻った。和樹に「おまえも飲むか」とも聞かないままコーヒーを淹れる準備をする。
「自己満足だとしても、わがままでも、それで誰が困るわけ?」和樹はベッドを背もたれにして床に座り、キッチンに立つ涼矢に言った。
「……困らないけど。」
「じゃあ、いいんじゃないの。おまえの気の済むようにすれば。二年後の家の話なんてさ、そんなの、今必死に考えることもねえだろ。すっげえ良いマンション見つけたらおまえだって二人で暮らしたくてたまんなくなるかもしんないし、俺が就職失敗して田舎に逃げ帰る羽目になるかもしんないし、何がどうなるか分かんないんだからさ。」和樹はそこで少し間を空けてから、言った。「おまえがいつかは俺と暮らしたいって思ってくれてるんなら、それでいいよ。それがいつスタートできるかは、大した問題じゃない。」
「本当にそう思う?」
「そりゃあ、なるべく早く一緒に暮らしたいけど、おまえが上京してくる頃には、俺ら四年の遠距離の実績できてるわけだろ? それで大丈夫なら、そこからの数年なんてどうってことないんじゃないの。しかも、今よりは近くなるんだしさ。」
強がりだと思う。ついさっきまでは逆のことを言っていたし、思っていた。でも、いざ涼矢にこうもはっきりわがままなのかと言われると、そうだとは言いにくかった。
――どうってことない。四年の遠距離恋愛に一年や二年の近距離別居が加算されるぐらい。いや、涼矢の司法試験次第ではもっと長くなるかもしれないけれど、更にその先に何十年も寄り添える未来があるなら、耐えられる。
そんなことを考えているうちに、似たような話を聞いたことがある気がした。涼矢のほうに目を向けると、ドリップバッグをカップにセットしているところだった。その時、ちょうど湯が沸いた。
湯を注ぐ涼矢の後ろ姿を見て、和樹は思い出した。あの時も涼矢はコーヒーを淹れていた。タイミングよくコーヒーの香りも立ち上ってきて、益々あの時のことが鮮明に思い出される。
あの日も家族の話になった。もうあと数日で東京に発つという時で、一日一日、一分一秒が惜しくてならないというのに、涼矢は一日ぐらいじっくり家族と過ごせと言い出したのだ。離れるのが辛いのは自分だけかと淋しくなって、どうしてそんなことを言うのか、おまえは平気なのかと涼矢を責めた。そうだ、その時の涼矢が言ったのだ。一日二日会えなくて淋しい思いをしたとしても、その先十年二十年と一緒にいられたならそんなことは誤差の範囲で、どうということはない。……確か、そんな意味のことを。
涼矢がコーヒーを持ってくる。しばし二人でコーヒーブレイクだ。
「俺らって、変だな。」和樹はマグカップを手にして笑った。
涼矢が首をかしげる。
「涼矢が前に言ってたようなことを俺が言ってる。さっきも、いつもなら涼矢がネチネチ言うのに、俺のほうがネチネチしてたし。」
「ちょっと待て、俺、そんなにいつもネチネチしてるか?」竹を割ったような性格だとは言わないが、そこまでしつこくしているつもりもない。
「してるよ。自覚ないの?」和樹は笑い出す。
「ないよ。……まあ、ちょっと理屈っぽいかなと思うことはあるけど、そんなに何度も言われるほどか?」
「何度も言ってねえし。」
「言ってるだろ。」
「ほら、そういうとこだよ。いいか、大体においておまえはしつこい。自覚しろ。」
「大体において。」涼矢はそこだけ繰り返す。「もしかして、セックスの話か?」
和樹はコーヒーを噴き出しそうになり、更にそれを回避しようとして激しくむせた。涼矢がティッシュを渡すとそれを口に当て、なんとかしのいだ。「お、おまえは、どうしてそういう話をぶっこんでくるんだよ。」
「違った?」
「それもあるけど、そこがメインじゃねえよ。」
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