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第39話 GINGER ALE(16)
「出世払いでいい?」
「今のキスで充分。光栄です、王子。」涼矢は和樹の手を取り、口元に持ってくると、その甲にキスをした。
その時、ちょうど洗濯が終わり、涼矢は黙々とそれを干しだした。さすがに和樹も涼矢任せにするのは気が引けて、一緒にその作業を行った。
「今日は一日天気いいみたいだし、帰ってきた頃には乾いてるだろ。」ささやかなベランダはあるものの、スペースは実に狭い。シーツの干し方に難儀しながら、涼矢が言った。結局、物干しハンガーに蛇腹に吊るして干した。
洗濯物干しも終え、和樹が戸締りを始めるとしていると、涼矢はショルダーバッグをごそごそしはじめた。何かをせっせと取り出している。
「何してんの。」
「これ、置いといて。」見れば、法律関連らしきテキストが数冊。
「うわ、勉強道具?」
「一応ね。2週間何もしないというのも、不安で。」
「すげえな、おまえ。家事やって勉強して。俺と暮らすようになったら苦労するぞ。ずっとシンデレラかもよ。」
「そうだろうね。」涼矢は飄々と言う。
「そこは否定しろよ。」
「否定しようないだろ。」
和樹は涼矢をうかがいみる。「俺の生活ぶり見て、呆れた? 愛想尽かしちゃった?」
「なんで。」
「なんでって、そりゃあ、見ての通りだからさ。昨日からずっと、俺のだらしなさに腹立ててるだろう?」
「別に腹なんか立ててない。ちょっとイラッとすることはあったけど、そんなのはお互い様だろ。」
「おまえにばっかり、いろいろやらせてるし。」
「何が言いたい。」
「だから、俺のこと、嫌になっちゃったかな、とか。」
「そう見えるか?」
「見えない。でも、我慢してんじゃないかなって。」
「俺にいろいろやらせて申し訳ないと思うなら、おまえがやればいいし、俺が勝手に手を出して困ってるんなら、余計なことするなって言ってくれればいい。和樹がだらしないのなんて最初から分かってたことで、幻滅したわけでもない。ああ、やっぱりなって思ったり、案外ちゃんとしてるなって思ったりするだけだ。それで今更嫌いになったりしない。おまえこそ、自分のペース乱されて嫌なんじゃないの。それならそう言ってくれないと分かんないからね。」
「俺のほうは、嫌なことなんて、ひとつも……。」
「だったらいい。俺もない。」涼矢はまっすぐ和樹を見た。「和樹と一緒にいられるのに、嫌なことなんか、あるわけない。おまえは王子さまで俺はシンデレラなんだろ? それでいい。」
和樹は自分の額に手を押し当てて、参ったな、とでも言いたそうに、苦笑した。「おまえは、俺のこと、そんなに好きか。」
「好きだよ。」
「そういうとこ、ゆるがないよな。」和樹は遮光カーテンを閉めた。
「好きだよ。」涼矢はもう一度そう言って、窓際の和樹を背後から抱きしめた。
「うん。」和樹は顔だけ後ろに向けて涼矢にキスをした。
2人は上野に向けて出発した。
上野は駅構内から混雑していた。家族連れに若者グループ、年配の夫婦の姿もある。外国人旅行者も多そうだ。2人とも初めて降りた駅だが、観光地らしく案内板は充実していて、スマホの地図アプリを利用するまでもなく、公園口改札を見つけて、美術館へとたどりついた。
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