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第858話 すべて世は(2)
「だろ?」和樹は琴音のほうに向き直る。「ありがとう。ミヤちゃんにもよろしく言っておいて。」
優しい口調で"退場"を命じる和樹に、渡辺も琴音も何か言いたそうだ。
「ええ、はい。」琴音は少し淋しそうに答える。「それじゃ、明日も頑張って……。」そこまで言って、きゅっと口を閉ざす。
「うん。そっちもね。」それでも和樹は、琴音のためらいに気づかない素振りを強行した。
だが、琴音は引き下がらなかった。「あのっ、片付け、私も手伝いますから、この後少しお時間いただけませんか。」
「えっ。」和樹と渡辺が同時に言った。
「あ、じゃあ、ここは俺がやっておくから、都倉はそっち行けば。」渡辺が助け船を出す。
「今日じゃなきゃダメなの?」和樹が琴音に言うと、琴音は頷いた。
和樹は戸惑う。この流れは告白であろうことは予測できた。当然断るという選択肢しか念頭にないけれど、傷つけたくない。入部当初にあった、彩乃や舞子からの手慣れた好意の表し方なら簡単だった。「振られた」実績を作りたくない彼女たちのようなタイプなら、脈がある相手かどうかははっきり言葉にしなくても察してくれるし、実際、そういう態度を取り続けているうちに勝手に引き下がってくれた。
でも、琴音はどうだろう。恋愛経験はあまり多くはなく、真面目で慎重なタイプに見える。そういう子がまっすぐに向かってくる時が一番苦手だ。――つまり涼矢のようなタイプなのだけれど。断ることにひどく罪悪感が芽生えてしまう。
「……もう少しで終わるから待っててくれる? で、こいつも一緒でいい?」
渡辺を指差しながら和樹は言う。告白の場に渡辺が一緒でいいはずがない。これでどうにか諦めてくれないものかと願う。
だが、予想に反して琴音はそれを承諾した。「うちのサークルのほうもまだ少し残務があるので、それ片づけてからまた来ます。三〇分後ぐらいでいいですか?」
「あ、ああ。」
和樹が答えると琴音は即座に踵を返して元来た道を戻っていった。
「なあ、都倉よ。」渡辺が言う。「ありゃあ、あれだろ。俺がいたらまずいやつだろ。」
「……だと思ったんだけどね。違うのかな。」
「おまえ一人で行けよ。」
「本人がいいって言ってるんだからいいんだろ。おまえもつきあえ。」
「気が進まねえなあ。」
そんなことを言い合っていたら、別の部員からの「そこ二人、サボるな」という声が飛んできて、和樹たちは作業を再開した。
やりはじめると片付けは十五分足らずで終わってしまい、一緒に作業していた部員たちは三々五々散っていった。折り畳みのパイプ椅子すら片付けて長机だけが残っているテント下に、所在なく立って待つしかない。
「なあ、告られたらどうすんの。」渡辺が言う。
「恋人いるからって断るよ。」和樹は再びクッキーの袋に手を突っ込み、二個立て続けに食べた。
「全然見込みないんだ?」
「ないよ。」そう言うと、クッキーを袋ごと渡辺に押し付ける。「俺もういいや。残り全部おまえにやる。」
「いいの? なんか悪いな。あ、おまえにじゃないぞ、あの子に。」
「琴音ちゃん。」
「入学式だっけ、新入生の勧誘してた時に一度会ったきりだろ? それで名前まで覚えてるの?」
渡辺の言葉が記憶力を誉めているのではないことは和樹にも分かった。それほどまでに印象深い女の子ならおまえだって多少は好意があるんじゃないのか、と言いたいのだろう。
「一度ミヤちゃんのサークル冷やかしに行ったんだよ。だから覚えた。」
「お、抜け駆け。」
「そういうのじゃないっての。……どういうサークルか、ちょっと気になったから。」
渡辺はクッキーをかじる手を止めた。「ああ、あそこのサークルなら、おまえみたいな奴、いるし?」
和樹は渡辺の言い方に反発を感じるが、そこは抑えた。渡辺にはたまにこういうところがある。悪意がないのは知っているのだけれど。「いなかったよ。」
「いなかった?」
「俺みたいな奴、は、たぶんいなかった。全員と話したわけじゃないけど、雰囲気的に。」
「ん? なんかおまえ、怒ってる?」
鈍感で無神経なくせに、何故そういうことだけは分かるんだよ、と心の中で毒づく和樹だった。「怒ってねえよ。」
そうこうしているうちに琴音がやってきた。「すみません、お待たせして。」
「大丈夫大丈夫。」軽薄に答えるのは渡辺だ。「でさ、俺は席外すから。」
「あ、おい。」和樹は渡辺の肩を軽く叩く。
「あのっ、渡辺先輩、ですよね? ここの、学祭サークルの方ですよね?」
「え、あ、うん。渡辺です。渡辺、海と書いてカイ、です。一応、二年の副リーダー的なことやってる。」
「すみません、私は一年の中山琴音です。覚えてないと思いますけど、四月に一度お会いしたことあります。」
「覚えてるよ。」
「ありがとうございます。」琴音は律儀にお辞儀をした。顔を上げると同時に言う。「渡辺先輩も宮脇先輩と親しい、ですよね?」
渡辺は和樹と顔を見合わせる。「あ、まあ、知ってると思うけど、ミヤちゃんはうちのサークルの名物だったし、普通に仲良くしてたよ。」
「それなら、一緒にお話聞いてくださると、ありがたい、です。」
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