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第859話 すべて世は(3)

「へ。」再び顔を見合わせる二人だった。「話って、ミヤちゃんのこと?」と渡辺が念を押すと、琴音は頷いた。 「なん」なんだ都倉への告白じゃないのか、とでも言い出しそうな渡辺の脇腹を、和樹は肘でつついて止める。  和樹が言った。「場所、変える?」 「できれば、大学の知り合いがいないところがいいんですけど……。」 「うーん、それは難しいな。今日は特にみんな周辺うろついてるだろうから。」学園祭最終日である明日を控えて、既に何かしらのイベントを終えて打ち上げに繰り出すサークルもあれば、明日の準備にいそしむサークルもあるだろう。  しばらく三人で頭をひねっていたところで、渡辺が言った。「俺んち来る? ちょっと歩くけど、一応徒歩圏内。」 「いいんですか。」という琴音の言葉と、「いいのか。」という和樹の言葉が重なる。  そこからコンビニに立ち寄ったりしつつ、三〇分ほどかけて渡辺の家に着く。渡辺の「ただいま」の声に、部屋の中から「おかえり」という女性の声だけが返ってきた。その後の和樹と琴音の「お邪魔します」の声に慌てた様子で部屋から出てきたのは、渡辺の母親らしき中年の女性だ。 「連絡くれたら何か用意したのに。夕食は?」 「ん、学祭でちょこちょこ食べてたからそんなに空いてないし、今、コンビニでも買ってきたから。」 「あらそうなの。じゃあお茶だけ淹れようか。」 「ああ、うん。」気乗りのしない返事をしつつ、渡辺が自分の部屋に入っていく。和樹と琴音もそれに続いた。 「あれ、渡辺先輩、煙草吸うんですか。」 「ごめん、匂う?」 「いえ、そうじゃなくて、灰皿あるから。」琴音の視線の先は窓の近くの棚にある灰皿だ。前回この部屋に来た時、吸う時はいつもその窓を開けて吸うんだ、と渡辺が言っていた。  間もなくして部屋の戸がノックされた。渡辺の母親がお盆に三人分の紅茶を載せて持ってきたのだった。お盆ごと渡辺に手渡すと「ごゆっくり」と言い、出て行こうとする。 「あ、えっと、ちょっと待ってください。」琴音が突然バッグを漁り出した。「今日サークルの人に配るために持ってきたんですけど……。」 「まあ、クッキー? ありがとう。もしかして自分で作ったの?」 「はい。でもこれ、何個か割れちゃってるから持ち帰るつもりでいたんです、こんなのしかなくてすみません。」 「味は変わらないでしょ、いただくわね、ありがとう。やっぱり女の子はいいわねえ。」そんなことを言いながら、今度こそ出て行った。 「割れたクッキーなんて、逆に失礼だったかなあ。」琴音がつぶやく。 「全然。味はおんなじ。」  渡辺のその言葉を聞いて、和樹が「お母さんと同じこと言ってる。」と言って笑った。  誰ともなく車座になって座る。その真ん中に、渡辺が紅茶をお盆ごと床に置いた。 「今日は突然、すみません。」琴音が頭を下げる。「どこから話せばいいのか分からないんですけど、うちの、サークルのことなんです。」 「ミヤちゃんが部長だよね?」 「はい。宮脇先輩はすごく頑張ってるし、今日のイベントだって盛況だったし。でも、なんていうか……分裂しかかってるんです、今。」 「分裂?」 「渡辺先輩はうちのサークルのこと、どこまで知ってます?」  突然の名指しに渡辺は目を白黒させた。「えっと、あの、LGBTの、なんかだろ?」 「なんか、ってどういうのだと思います?」 「ゲイの人とかを差別してはいけないって呼びかける的な?」渡辺は隣の和樹に助けを求めるように視線を送ったが、和樹は何も言わない。 「それって具体的にはどういうことだと思います? LGBTに限らず、差別はいけないっていうのはみんな分かっていることでしょう? それなのにわざわざサークル作るのはどうしてだと思います?」 「ご、ごめん、琴音ちゃん。急にそんなこと聞かれても……。」  琴音はハッとして渡辺に何度も頭を下げた。「すみません。私こそごめんなさい。」何か思いを巡らせているように目をくるくるさせてから、語り出す。「私たちのサークルは、今渡辺先輩が言ってくださったように、差別をなくそうって活動をしています。まずは自分たちも勉強会をして、それから、そういう差別があるってことを知っていただくためのパンフレットを作って配布したり、関連のイベントには学生の団体として参加してネットワークを広げたりしています。でも、サークルメンバーの中にはそういう活動には興味がないって人も多いんです。」 「え、なんで? そのためのサークルなんでしょ?」 「そうなんですけど……。当事者同士の出会いの場を期待されることも多くて。」 「出会いの場?」 「出会い系サイトもあるし、そういうお店に行けば出会いはあるのかもしれないけど、そういうの、ちょっと怖いじゃないですか。それに、ずっと年上の社会人じゃなくて自分と同じ学生とつきあいたいとか、友達が欲しいとか……。そういう目的の人にとっては、世間へのアピール活動ってあまり意味なくて。逆に目立つことはやめてほしいって人もいるぐらいで。」

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